DULL-COLORED POP
vol.17『演劇』俳優ロングインタビュー:東谷英人
「いかに失敗するか」
- 昨年受けられた永井愛さんのワークショップ※1について感想を聞かせてもらえますか。
- 愛さんのワークショップに参加するのは初めてだったんですけど、あそこまで美しい人もいません。
- 「美しい人」というのは?
- 例えば「怒る」とか「叱る」とかのダメだしの仕方じゃなくて、どうにか彼女に応えたいみたいな気持ちにさせる、人間としての魅力がある人ですよね。悔しいんですよね、ああいう気品のあるダメだしをされると。僕は大好きです。だからこそ、その気品の裏にある期待や要求に応えたいと思う。劇作家協会のワークショップで、愛さんの他に中津留章仁さんのワークショップにも参加したんですが、この二人は演出家としてもぶったおさなきゃいけない、絶対ぎゃふんと言わせたい存在となりました。……誉められたいですね、端的に言えば(笑)。この二人と出会ったことで、もう二段階三段階俳優として成長しなきゃならないと感じています。それだけ大きな課題をもらいました。
- ワークショップにはご自分で応募されたんですか?
- そうですね。谷も愛さんの演出助手をやったりしてましたし、実際作品を観たり台本を買って読んでみても面白くて。ダルカラとはまた違った角度で、人間の奥底の何かを抉り出す芝居を作られてると思うので、興味がありました。
- 四日間でシーンを作り上げるという内容でしたね。
- あの時の事は、今の僕の芝居にとても大きな影響を及ぼしています。四日間で学べることなんて知れてるんです、実際。その短期間でできる事は「いかに失敗するか」という事しかない。演劇の稽古は1ヶ月~2ヶ月やって本番ていうのが当たり前ですが、四日間で人前に出て演じるっていうのは演劇の現場としては珍しい。大事なのは自分がどういう失敗をして、それをこれからの現場でどう生かしていくか、という事に尽きます。どれだけ勇気を持って飛び込んで、失敗するか。この時に限らず、短期間の創作の場合には特に、僕はそういうスタンス、気概で臨んでます。
- 最近「いい俳優とはなにかね?」と質問されることも少なくないのですが、俳優は替えが効かない職業だと思うんです。替えが効いたらダメだと思うんですよ。東谷英人は誰とも替えが効かない存在にならなくてはならない。これはものすごくマジでそう思ってます。思えるようになってきましたね、ここ何年かで。それまでは何もわかってなかった。
野球少年から俳優へ なし崩し的なはじまり
- 東谷さんは以前『カカフカカ企画』という劇団に所属されていましたが、お芝居がやりたくてカカフカカ企画に入ったんですか?
- いえ、実は全くそういうわけじゃなくて。僕はそれまでずっと野球少年で、10代の頃は野球をやるか野球漫画を読むか、という人生でした。甲子園目指してやっていたけど挫折してっていうレベルにもないくらい、挫折すらもはっきり味わえないような野球人生だった。そもそも甲子園を争えるようなチームにはなれませんでした。それで高校三年の夏に部を引退して、さあこれからの人生どうしようと思った時に、大学行ってプロを目指してやることを選べなかった。実力がないことが証明されたなと感じて、またそれをこれから覆してやるという気力も湧かなかった。生きがいが何もなくなっちゃって、僕の通っていた高校はまがりなりにも進学校だったんで部活を引退した三年生はみんな図書館や学習室で受験勉強してるんですけど、そいつらを横目に「俺どうしよう」とか思ってて。それで僕は学校サボって映画館に行ってたんですよ。それまでそんなに芸術とかに触れてこなかったんですけど。野球をくそ真面目にやってきてしまったので、ちょっとはぐれ者になりたいなーみたいな。
- はぐれ者……
- 何となくわかります? 野球しか知らなかったクソガキが初めて人生を考え出して悩むわけです。好奇心の誕生です。そういうのがあって、映画館で映画を観るようになってから「ああ、芝居の世界、映画の世界って色んなのがあって面白いぞ」と。あと同時に「家を出たい」という思いが湧いてきて。しかし家出をする度胸もない。なら東京の大学に行こう、と受験を決めました。ただそれまで野球脳だけで生きてきたから、当然現役ではどこも受からなくて浪人したんです。それで親に土下座して予備校に通わせてもらえることになり、その時もいわゆる代ゼミとか駿台とかそういうメジャーなところに周りは行くんですけど、俺はちょっとそういうの嫌だなぁと思ってて。なんで嫌なのかはわかんないですけど、人と接するのが億劫になってきてたのかな……まあ、それで仙台にしか無いちっちゃい予備校、それも僕がよく通っていた仙台フォーラムという単館映画館が近くにある予備校に行きつつ、その映画館にも通うって生活を一年間続けました。芝居と触れ合うっていう意味ではそこが原初体験ですね、18歳の頃。
- 映画が先だったんですね。
- 映画が先なんですよ。多分年間100本くらいは見てたと思います。それでなんとか頑張って早稲田大学に行くことになりました。早稲田に行ったら演劇もそうだけど、映画とか写真とか色々芸術のサークルが腐るほどあるじゃないですか。野球はもう終わった、じゃあ次は……芸術じゃないか? っていうときめきがありまして、入学して色んなサークルを見て回ったんですけど、見事に全部肌に合わなくて。
- 自分の理想としているものがなかったんですか?
- 理想というか単純に面白くなかったんですよ。当時の早稲田の演劇とか映画とか。少なくとも自分は面白いと思わなかったんですね。とことん面白くなかった。今思えば僕側に問題があったんじゃないかと思ったりもしますが……全部観に行ったんですよ、真面目にそれこそスケジュールを自分で立てて、行ったんですけど。飲み会に参加しても「全然こいつら面白くねえなぁ。……殺すぞ。」とか思ってて(笑)こんな新入生は当然どこにも入れないんですよ、合わないから。そりゃそうですよね、話しかけても睨みつけて喧嘩吹っかけてくるような新入生、だれも自分のサークルに入れたくないでしょう。だから大学入って一年間何もしてなかったんです。
- 一年間はどこにも入らなかったんですね。
- はい。おまけに一人暮らしだから、畳の目を数えてたら一日終わったみたいな、引きこもりみたいな時期がありました。それで二年生になった時に、さすがにもう何かやんないとまずい、俺何の為に東京来たかわかんねえと思ってまたサークルを見て周ったんですけど、やっぱり全然ピンとこないというか、心が動かなくて。ただそんな中、カカフカカ企画というところだけ見てなかったんですね、一年の時。あれ、ここだけ観てなかったなぁと思って何となく行ってみたら、そこは当時凄く面白かったんです。お客も沸いてるし、満員以上な感じでパンパンに入ってたし。ムーブメントとしてちょっと感動して、凄いなぁって。カカフカカはお笑いをやってたんですけど、お笑いも元から好きでした。「野球」と「野球漫画」と「お笑い」が三種の神器というかずっと好きだったんです。だからちょうど暇だったし、お手伝い募集してたからなんでもやりますって電話しました。その現場に行ったら次の公演にもう名前が載ってて「キャストで出て」と言われて。今思うとメチャクチャですけどね。これが初舞台です。凄くなし崩し的な始まりなんですよ。
- 出たいとは思ってなかったんですか?
- 思ってないです。出れるなんて思ってないですから。出るってなったらどうしようというのはあったけど。そんな初舞台をやって、まぁ楽しかったんですよね。受けたし。これが凄い大事だと思います! 受けてなかったらもう舞台やってないです。多分まぐれなんですよ、受けたのって。素人だから。でもそこでどかーんてなって、それが気持ちいいな嬉しいなっていうのがあったからお笑いの活動を続けていきました。
- カカフカカ企画には何年くらいいらっしゃったんですか?
- 5、6年かな。同期で入った子はみんな就職して、とか家庭を持って、とかどこかで辞めていくんですけど、僕だけ残ってて。
- それは相変わらず手応えがあったからですか?
- 手応えがあるというか、うーん、まぁそうかもしれないですね。必要とされてるというか。
- じゃあカカフカカ企画を辞めた理由は?
- ……僕、芸人さんて世の中で一番尊い職業だなぁと思ってるんです。人を笑かしてそれを仕事にしている、凄い尊敬してるんですよ。人を幸せにする職業じゃないですか。だから物凄く僕は尊敬するんですけど、そういう人たちに僕はなれないなと思っちゃったんですよね、いろんな現場経験を経て。芸人という状態でもなく、演劇でもなく、劇団でもなく、でもお笑いっぽいこと、コメディみたいなことやってるっていう気持ち悪さというか、そういうのがどんどん溜まっていって。突き詰めたら芸人になれよって話だけど、芸人にはちょっとなれないなって思って、ちょうどその頃から早稲田界隈ですけど他の劇団とか団体に呼ばれてお芝居をする、お笑いじゃなくて演劇をするっていう機会が何回かあって。
- カカフカカとはまるっきり方向性が違うお芝居ですか?
- うん。違いますね。だから現場現場でアプローチするための出発点は、僕の本人性は本人性なんですけど、カカフカカの時にやってた事ではないもので勝負しないといけない。それが難しいんですけど、なんかあるぞーっていう直感、これまだ全然ダメだけど面白い事に繋がってるなっていう直感があって。そう思った時に、カカフカカ辞めますって言いました。
- 客演に出始めてすぐの事ですか?
- カカフカカのメインメンバーだったのでもちろん色々悩んだりしました。でもそもそも辞めたいなと思いながら活動続けるのって、お客さんにも失礼だし、自分が楽しくないから不健全ですよね。元々当時の僕らは自身の舞台活動でメシを食っていきたいという団体では無かったので、じゃあもうここはすっぱり辞めて、どうなるかわからないけど芝居の世界に丸腰で飛び込んでみようと。
- それはお芝居でメシを食っていきたいと思ったという事ですか?
- その時は思ってないです。でも、心の中ではどこかそう思ってたかもしれない。自分への漠然とした期待がある程度ですけどね。当時はもう学生じゃなかったですし。
ダルカラとの出会い、変わっていく私
- カカフカカを辞めてフリーの期間を経て、ダルカラに入ったのは谷さんと出会ったからですか?
- 谷との最初の遭遇はフリーになりたての頃『マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人』※2のオーディションを受けに行ったのが初めてです。
- なぜ受けようと思ったんですか?
- その前の『ショート7』※3ていうのを観て、なんかこの人たちアホなことばっかりやってる、でもなんかロックな感じするなーというこれも直感ですね。あの頃、フリーの期間ていうのはあんまり考えてなかったですね、自分の頭で。
- 流れに任せるような?
- いや、流れじゃないです。流れは何も無いんで、そもそも。今考えても色んな芝居を一番観てたのはあの時期だし、ワークショップだったりオーディションだったり時間がある限り受けに行って飛び込んで。でもその時は演劇で食うとか全然思ってないですね。もう走り出しちゃったから行くしかねえ、と。その時のオーディションでは落ちてるんですけど、3日間だったかな、すごく楽しかった記憶がありますね。あ、谷賢一ってバカなんだなって。僕らが言う「バカ」っていうのは最大の賛辞なんですけど、そういう意味では谷って大バカだって思いました。というのもそのときの発表で9人か10人くらい出る戯曲を扱ったんですけど、設定だけ活かしてあとはそれぞれに当て書きして書き直した台本を2日目に渡されて。3グループあったからだいたい30人それぞれに違う人物を書いてきたんですよ、材料は多分1日目のぼくらの振舞いや雰囲気を見ただけで。なんなんだこの演劇への情熱はと思いましたね。普通オーディションに来た俳優のためだけに台本書くなんてないですからびっくりしました。それで、1度目の活動休止になるまでの公演も勿論観に行って、で休止中の時期にProjectBUNGAKUの『人間失格』に出演が決まり、そこが僕にとって初めてのダルカラ現場ですね。現メンバーの大原、塚越、百花ともそこで出会いました。
- ダルカラに入った時の気持ちと今では変わったところはありますか?
- 入った時の気持ちは、「燃えるぜ!」ですね。『人間失格』以降も、谷と何度か現場が一緒になって、それでもまた一緒にやりたいなと思ってたし。
- 劇団にまた入るという事に不安はなかったですか?
- ないです。ただ、その「一緒にやりたい」=「劇団に入る」っていうのにびっくりしたんですよ。劇団員になって欲しいっていうのにびっくりしたけど、一緒に芝居やりたいからいいか、やるやるって。その時は、「燃えるぜ!」。それで、今も「燃えるぜ!」なんですよ。
- (笑い)変わらない?
- 今の「燃えるぜ!」は、あの時の「燃えるぜ!」とは違うんですよ。
- 具体的には……
- 何が違うんでしょうね? 俺が違うんでしょうね。明らかに。色んな現場、作品を経て……
- いつの間にか変わってましたか? それともどこかから急に変わったという意識がありますか?
- 難しい質問ですね。俳優って色んな役、色んな人物を芝居でやるけど、東谷英人として見られたりもするじゃないですか。という事は、東谷英人がこの人物(芝居の役)になっているというのを見てもらう仕事ですよね。だから見た目とか声とか体とかは東谷英人ですけど、こっちはそんなつもりでやってないというのが確実にある。そういう意味でも、つまり東谷英人が成長しない限りは俳優としての成長も無い、という事だと思います。
- 自分の成長と共に自然に変わっていったんですか?
- いや……『プルーフ/証明』※4っていう作品ですね、大きく変わったのは。いや、その時期の燐光群の舞台と、『プルーフ/証明』という舞台ですかね。いや、その前の『完全版・人間失格』※5からかな。青山円形劇場での強く濃い敗北があったからこそ変化が始まっている……うーん……これだ! って決めつけるのは簡単なんですけど、多分そうではないかなあ。色んな経験、色んな出会いとかがあってのそういう結果で、それは外から見たら一見わかんない事だと思うんです。
- 東谷さんが成長するから、東谷さんがやる役柄も成長するということでしょうか?
- 僕は、人間力がないとその人の芝居面白くないと思うんですよ。最近すごく感じたんですけど、人って何かに関わって生きてるじゃないですか。それを「社会性」と言うとすれば、社会性が無いとダメだと思います。要は一人自己陶酔の演技を見てても面白くないですよね、全く。ただそういうなにかしら無茶苦茶な状態にある人が、例えば恋人だったり親だったりの相手を前にして、関係性がある状況で、その場で生きようとしている事自体が面白い、と思うんですね。
- 俳優には「社会性」が大事だと?
- 思いますね。間違いなく思います。俺だって人見知りだし、比較するわけではないですけど、うちの劇団の中でも社交性のある方じゃないです。でもそんなの関係なくて、人と会う、人と喋るとか、関係が深まるってこと。そういう感覚が無いと俳優は出来ないと思います。
- どういう俳優になりたい、という理想はありますか?
- 面白くあり続けることです。言い方を変えれば、大きい小さいに関わらず物事や出来事を楽しめる、面白がれる人間であり続けたい。この業界の真っ当だなと思うところはつまんない人はやがていなくなるということです。1年や2年はごまかせるかもしれないけど、やっぱり実力の世界なんだということは信じられる。つまんない人っていうのはある面では、なにかおもしろさや楽しさをどこかで見逃している可能性が高い。つまりさっき話した「社会性」や「人間力」がないと言える。そんな人を沢山見てきました。そういった中で自分はいま何者でもないかもしれないけど、この世界に僕はなにがなんでもしがみつきたい。
- あと、もうひとつ。僕はドキュメンタリーの番組や映画がとても好きなんです。それは、とことん本当のことを切り取っているから。目が離せなくなる。ほんとに面白い。勿論編集されているし、音が効果として入っていたり、ナレーションが入っていたりするけど、そこに映し出されている人たちはなんにも演技してないし本物であるだけなんですね。僕らの仕事が虚構を本物と思わすことだとしたら、ドキュメンタリーははなからリアルなものであって。でも僕は俳優はドキュメンタリーに勝てなければいけないと思っています。どうやったら勝てるのか。もしそのドキュメンタリーに出てくる人たちをプロの俳優が演じるとして、本物よりも本物であるにはどうすればいいのか。リアルな人間よりもリアリティを持つにはどうすればいいのか。ドキュメンタリーとの対比でなくとも、芝居の世界の中に生きていて、本物とは何かをいつも追い求めています。質問に答えると、本物でありたい、これに尽きます。
- 東谷さんが観ていてこの俳優さんがいいなと思うのと、自分がなりたい俳優像は一致してますか?
- いいなと思う人になりたいか、という事ですか? ないですね。ベネディクト・カンバーバッチの芝居とか観ていいな、凄いなと思いますけど、何かを盗もうということはあってもカンバーバッチになりたいわけじゃない。尊敬している人とかなりたい俳優とか結構聞かれますが、ないです。凄い俺になりたいです。
「楽しい芝居が怖いと思い始めた」
- 自分にとって芝居って何ですか?
- 芝居は、僕が生きていくための「手段」です。人と関わっていくための「術」ですね。
- 他の仕事、他の事で社会と関わるのではダメだったんですか?
- ダメですね。出来ないと思います。
- やってみようと思ったことは?
- ないです。恐らく、他の何やってても芝居のこと考えると思います。
- カカフカカ企画にいた頃は、お芝居がなければ、とは思ってなかったですよね?
- 思ってないですよ。楽しいからやってるだけ、続けてるだけ。
- 楽しかったんですね。
- もちろんもちろん。嫌々やってたわけじゃないです。
- お芝居続けてるのも楽しいからですか?
- そうですね……楽しいんですけど、ここ2、3年くらいで怖いって感じるようになりました。お芝居するとか舞台に上がる、カメラで撮られるようなことが怖いって思えてきて。今までそれこそ20代の頃は何もわかってなかったですが。
- 怖いのもの知らずだったのが、自分のいる立場がわかって、周りとの相対関係が見えてきて、俺の立ち位置はここってのがわかってきたからこそ、怖い?
- うーん……わかりやすく言ってくれてると思うんですけど、僕が言ってる怖さってちょっと違う……。
- どういう怖さですか?
- 立ち位置どうこうとかじゃなく、俳優って毛穴も見せる、あるいは見られる職業じゃないですか。その実感を持てるようになった、っていう事かな……あえて言うなら。最近、本番前にえずいちゃうようになっちゃって。
- 怖くてですか?
- なんか気持ち悪くなっちゃうんですよ。好きでやってるはずなのに。
- 毎回ですか?
- ほぼ毎回ですね。これ恐ろしい職業だなって思い始めたのは最近です。あと緊張感、最近になって緊張感が出てきました。
- 昔は無かったんですか?
- そもそもあんまり緊張しないんですよ。みんな舞台前ってドキドキあがったりってあるみたいですけど、僕はあんまり無くて。緊張してもうダメだーとかは一切無かったのが、ようやく緊張するようになってきたんですよね。
- 怖さと繋がってるんですかね。
- そうそう、怖さと繋がってて。でもその緊張感、ヒリヒリする感じみたいなのが無いと、やっても意味ないなって思うようになりました。
- 自分の身にならない?
- 自分の身になるためにやってるわけじゃないですけど……
- 何のためにやってるんですか?
- 誰でもそうだと思うんですけど、やっぱり芝居をすることで自分に対する発見があるというか、自己発見があると思います。でもそれはやってたら気づくことで目的そのものじゃない。僕がいま何でやってるかっていうと……うーん……人間として生きるためですね。
- それが無ければ生きられないということですか?
- そうですね……生きてないと思います。今も。
- 「食うため」とは全然違う意味でしょうか。
- 食うためでもありますけど、いま僕ってギリギリなんですよ、食ってるかどうかっていうのは。水商売みたいなところがあるから。でもそれを続けていかないといけない。それは食い続けていくってことでもあるけど、何で芝居を選んだのかっていうと、やっぱり自分が生きていくためなんですよね。生活ということではなくて。どんな人でも、舞台で全部出るよって、普段の自分が出るよって言うじゃないですか。結構それは本当で、自分にないものって出てこないんですよ。だから、「生き様」だと思います、俳優って。そう考えるようになってから、お芝居関係ない実生活、プライベートの事でも何でも芝居に活きる、お芝居が先行しているわけじゃないけど、自分が生きてるってことが全部出るので、出さざるを得ないので、「生き様」のためです。わかりますかね? 僕が全うでいるためですね。
- お芝居で成長していきたいということですか?
- お芝居という装置を使って人間を成長させたいということです。でもそれはお芝居をする俳優としての自分のためでもある、そういうことだと思いますね。……なんかあれですか、きれいごとっぽい感じですか(笑)。最近あえてサラリーマンやってるような人や、異業種の人の話を機会があれば聞くっていうのをやってるんです。彼らの話を聞くと凄く不満を持ってるけど抜け出せない現状があるらしくて、その点この仕事は愚痴とか毒みたいなのも活かせるというか、「生きてる」ってことが出るから、そういう意味では大変だし、例えば自分に子供がいたら、絶対やらせないですけど。
- (笑い)
- いい職業だなって思います。
「またやるために、“終わらせない何か”を見つけたい」
- 社会にとって芝居、演劇は必要だと思いますか?
- 例えばドラマとか映画とか、お芝居じゃなくても絵とか写真とか、俳句とかそういうのを芸術とするなら、一見、そんなの無くても生きられるじゃないですか。生活に不可欠なのかって言われると、別にいらないよなぁって。衣食住じゃないし。でも僕は絶対必要だなぁと思ってて、それは何でなんでしょうって考えてるんですけど……要は芸術ってずっと何百年もあって続いてて人はそれを欲していると思うんですが、その理由を僕は探している途中です(笑)。
- 明確に「こう」とは言えない?
- 逆に言うと必要とされなければいけない立場にあると思うんです。演劇って別にいらねぇじゃんって思われたら負けですよね。ダルカラでも東谷さんでもいいですけど、「これ観るの私の生活にはやっぱり必要だし」と思ってもらわないと、続けられないと思います。やってる側の人たちは僕も含めてずっと問われ続けることなんじゃないですかね「おまえは必要か?」と。例えば、誰にとっても「お金」は無いと生活できないですよね。「お金」みたいな存在になりたいです。
- 今回の作品についての意気込みを聞かせてください。
- まだ今どうなるかっていうワクワク段階ですけど、内容云々以前に今年はダルカラードポップはこれ一本だし、これで活動休止というのがあるので……僕はね、ものすごく谷賢一とダルカラードポップのみんなに恩を感じてるんです。感謝してるんですよ。今の僕があるのは今のメンバーのおかげなんです、どう考えても。何かこう特に事件やトピックがあってっていうことじゃないんですが。共に作品を創ってきたこの5年間は、周りの同業者には絶対経験できない尊いものだったと自信を持って言えます。先ほど喋ったような例えば社会と関わるみたいなことで言っても、僕は劇団に入ってよかったなと思ってます。……なので絶対終わりたくないんですよね、うん。
- では今回の活動休止は断腸の思いですか?
- 俳優個人としては活動していくことに変わりはないんですけど、ダルカラードポップというホームの活動がこれで一旦休止するっていうのは凄く悲しいことで、でもそれを「悲しい悲しい」って言っててもしょうがなくて、またやるために「終わらせない何か」を見つけたい。それは単純な言葉で言えることではないのかもしれないですね。多分みんなも、わからないけど、終わりたいって思ってる人はいないんじゃないかな。でもその為には僕たちがちゃんと成長してっていうのが絶対条件だし、俺は売れなければならない! そういう意気込みですね。どうなるかわかんないんですよ。ダルカラードポップに限らず、作品をやって終演してそこでその人間関係も終わる、ということも大いにあるので。そういう意味でいえば芝居の現場の一つでしかないんだけど、この5年間の集大成にしたいし……凄く面白いものをやりたいです。何日かプレ稽古をやった感想としては、面白くなりそうです(笑)いつもそうですけど、書く人も演出する人もボスも一緒の人で、その人は頭おかしいので、面白いこと考えるので、それをちゃんと具現化できるメンバーでいたいっていうのがあります。楽じゃない、一番緊張するんですよ、ダルカラードポップが。何なら一番のびのび出来てないんです、僕。だから今回のびのびやりたいと思いますし(笑)、緊張感がある闘いを紙一重でちゃんと勝ちたいな。まだ具体的には何も言えませんが。
- 脚注
- ※1 日本劇作家協会主催ワークショップ「せりふを読んでみよう」
- ※2 DULL-COLORED POP第8回本公演
- ※3 DULL-COLORED POP第7.7回本公演
- ※4 DULL-COLORED POP若手企画公演
- ※5 DULL-COLORED POP第12回本公演