DULL-COLORED POP

vol.17『演劇』俳優ロングインタビュー:百花亜希

やってみたかった

演劇を始めたきっかけを教えて下さい。
学生時代含め、演劇とは全く無縁の生活をしてて、卒業後も、正社員で働いてました。それもそれで楽しかったけど、なにがきっかけと言うこともなく、ふと、もっとなにかやりたいことがあるはずと思った時があって。それで、思い出したんです。昔見た、舞台のお姉さん。楽しそうだったなぁって。あんな風にお芝居とか今からでも出来るかな?ちょっとやってみたいなっていう軽いノリからはじめて。で、会社辞めてしまいました。
それは演ってみたいと思った瞬間にやめたんですか?
わりとそうです。何の目論見もなく、どうやってお芝居やるかとかもわかんないのに、まぁいいかと。会社辞めて、とりあえず、本屋さんに行けばなんかわかるだろうと思い、そこで、デビューって言う雑誌見つけて、素人でも可、みたいなのがあって、オーディション受けてみたのが最初ですね。だから、「女優になるんだ!」という感じでは全くなく、「何か、何かやってみたい」というノリで。
人前に出る事とかに抵抗なかったですか?
めっちゃあります。人前出るのすっごい苦手です。人見知りと方とか、俳優さんは意外と多かったりしますが、わたしもその一味です。かなりの緊張しいだし、人前で喋るのが本当に苦手で……顔合わせの自己紹介だけでも、ものすごい緊張する。
でも、やってみたかったと。
そうですね。なんでそう思ったのかの真意は自分のことだけど謎です。ただ、自分が昔、舞台観た時に、舞台上のお姉さんがすごく楽しそうで。それになぜか惹かれたのが大きいかもしれないです。
実際、演ってみたけどやっぱり全然楽しくないとかはありますか?
前は、楽しくないというよりも、自分が出来な過ぎて、へたくそ過ぎて、楽しいと思えないことはありました。今だって、「わ~い、楽しい♪」だけじゃないんですけどね。でもやってく内に、辛かったり苦しかったりが、逆に「これが出来るようになったらもっと楽しい!」と思えるようにもなってきて。出来なくて悔しかったりするけど、でも、ラクラクできてしまうより、大変!くらいの挑戦しがいがある方が、その先にクリアできる喜びがあるなと。やっていく内に、どんどんそう言うのが増えてきてる。
とか、カッコイイこと言ってるけど、落ち込みやすくもするので、出来なくて、おうち帰って凹んだりは今もあります(笑)

わたしとDULL-COLORED POP

フリーの期間が長かったんですよね?
長かったですね。ダルカラ入って今年で4年目。劇団員の中では一番最後に劇団加入しました。
ダルカラ第二期が始まった頃、谷さんの作品に出演してましたが、その時劇団員に誘われなかったんですか?
誘われてました。ダルカラ第二期の前から、谷作品の現場いくつかやってたので、たぶん誰よりも先に誘われてたと思います。
なぜ入らなかった?
その時のわたしは、「劇団」に入りたくなかったんですよね。自分の中で「劇団」というものが、一回入ったら最後、もう出れない「家族」のように思っていたので。だから、谷さんだけじゃなく、新しい劇団員含め全員が、わたしと一緒にやっていきたい!と思ってもらえないとなぁと。
あと、谷さんに対しても、私の事あんまりよく分かってないのに、何をどう思って私を入れたいと思ってるのか謎なせいもありました。実際入ったら「なんだこの程度かーぺっぺっ」という扱いを受けるんじゃないかとおびえてもいました。臆病で、自信なくて、こわくて、だから断りました。
でも入った。
谷さんだけでした。劇団加入で断っても、何回も誘ってくれたの。その普通じゃない加減と、ありがたさと、サイアク嫌だなと思ったら、やめればいいじゃないかと自分の考えも変わったせいもあって、今、ここにいます。
劇団が家族って言うのは直感的にですか?
直観というより、イメージです。演劇と無縁のわたしが抱いてた「劇団」と言うもののイメージが「家族」でした。
谷さんの作品に、初めて出た時と、今と、印象は変わりましたか?
最初に出たのは、ダルカラの『マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人』※1。今とは……変わったかもしれないです。劇団員が変わったことも影響してると思うし。
最初の頃はどんな感じですか?
……賢い感じ。だからって今が馬鹿って意味じゃなくて。今は、賢いのと、……なんだろう。何か混ざってます。
劇団員になってみて変わりましたか?
変わりますね、そりゃ。わたし、こんなに谷さんと仲良くなれると思ってなかったんです、最初。当たり前だけど、関係性も色々変わって。最初の頃と比べると、今はある種、うんちみたいに扱われてるなと。いい意味も悪い意味も含めて。まぁでもそれでいいかなと思ってます。
他の角度での劇団員になって変わったことは?
人間関係。わたしはどちらかといえば、ドライなタイプだと思うんですが、劇団員になって久しぶりに人とぶつかったりしました。劇団員は、家族とまでは言わないけど、でも、濃いです。ふとよぎるだけでも、それぞれの劇団員に色んな思い出があります。
他にありますか?
劇団員になると、客演する時に、どこか、劇団の看板背負う気持ちになりますね。みんなそうだろうけど。わたしは、ワザとそう思うことで、自分を奮い立たしています。
途中でやめたいと思ったことは?
何回もあります。今となっては、恥ずかしながら、自分が子どもだったせいだと思います。自分は必要とされてないんじゃないかと。でもそんな求める、欲しがる自分のことを気持ちキモチワルっ!と思えてきて。今は、もはやどうでもいいです。
それは何でそう思えるように?
人を、周りを見て学びました。

わたしとお芝居と

落ち込んだりした時に芝居をやめずに続けてこられたのはどうして?
「粉砂糖の中の一粒。すごく白に近いけど、でも白じゃないやつが見えた! え? でも今の幻か? 同じ粉砂糖かも……でも! 見た! 違う色見た!!」みたいな。おそろしく微量の、何かちょっとだけ救われる様なことを見い出だせたから。かもしれない。でもすごく危うい。見えてたのか見えてないのかわからないくらいの。でも、それが「見えて」てくれと。願望? 祈り? のようなものに近いかも。そういうのがあるからですかね。意味不明ですね……
お芝居自体をやめたいと思ったは?
ダルカラ入る前、若い時にありました。ありがちな、自分向いてないんじゃないか的な。でも、結局続けてたら、楽しいが増えて、今はやめたい気持ちは1ミリもなくなってしまいました。自分がやりたいんだからやればいい、誰かと比べてもしょうがない、わたしの人生や!と。
自分がこうなりたいという理想が明確にありもするし、漠然とみえないけど、あると思っていることを探している、というのもあるんですけど、そこに向かっていく過程が楽しい。時間もかかるけど、それでも、えっちらおっちらでも進んでることが見えたら嬉しい。だから、まだまだやってたい。

パワー

理想とするお芝居、理想とする俳優って言葉に出来ますか?
そうだなー……元気になるような作品ですかね。それは、ぱぁーっと明るい芝居という意味だけじゃなくて、ずどーんみたいなグロイ芝居でも。なんか元気になれる、なんかこう……希望。……希望というと違うかもしれないけど、光が見えたり。それでも生きてる……生きることって大事……大事っていうと違う気もする……全く言葉に出来てないですね……
作品の明るい暗い関係なく、観てて元気になったり、誰かに優しくしたい、とか、生きるぞ、とか、会いたい!とか、そういう風に感動させてくれる人、作品が好きです。

演劇

今回の作品について「演劇」と言う題名をどう思いますか?
潔いなと思います。シンプルで。布を「布」と名付けるみたいな。最初(仮)だったけど、今思えば、ぴったりだと思います。ダルカラって、特に作風ってあんまり決まってないなとわたしは思っていて、今の試み含めて、ぴったりだと思います。
ダルカラは、いつもどうなるんだろう? からスタートしていきます。演劇ってなんだろう? も隣に。わたしもわからないです。演劇ってなんだろう??

比べてみたら

舞台と映像と違いがあると思いますか?
あると思います。たぶん。映像の仕事、最近は本当に全然やっていなくて、舞台ばかりで、映像は詳しくないですが、違うと思います。もちろん、一緒のところもあると思いますが、やっぱり、その場にお客さんがいるかいないかの違いは大きいかなと。舞台はお客さんも一緒に創ってる。だからお稽古でも想定するけど、実際に本番お客さんがいる状態で初めてわかることはたくさんある。
それはお客さんから何か感じるって事ですか?
お客さんは鏡みたいなところあるな、と。稽古場では演出家なんでしょうけど、でもやっぱり、お客さんとは違う。昔、自分が演劇とは無縁だった頃は、舞台の一ヶ月とか長い期間やってても、初日から楽日まで全部一緒と思ってました。変わらないデジタルな、それこそ、レンタルビデオ借りて見て、いつ見ても同じ。舞台はそういうものなんだろうと思ってました。でも、自分が俳優をやるようになって、いやいやいやいや、全然違う!生もの!!こんなにも不安定なのかと。出る側と出ない側では、こんなに違うんだーと。

血が好き

百花さんは最初会社員やっていて、それから演劇を始められましたが、他になりたい職業ってなかったのですか?
ありました。一番最初は看護婦さんになりたかったです。ただ、今と全然違ってて、幼いわたしは血がすごく苦手で。昔、ひいおばあちゃんが家の階段から落っこちて、頭強打して、血をだーっと流した時があって、それ見て、「看護婦さん、無理!」と思いました。今は、全然平気で献血とかむしろ行くし、血、大好きなんですけどね。

演劇と社会とわたしの飛ぶ思考

社会にとって演劇は必要だと思いますか?
私は思ってるんですよね。社会というか、これ全部社会だなと。小さな社会。小さな社会が大きくなっていく、みたいな私のイメージなので。
お芝居の世界も一つの社会って事ですか?
それもそうですし。……すべて。そもそも社会って何だ?社会の定義って何だ?ってところから始まると、自分の中では、これ言うと話がでかくなるんですけど、……例えば震災とか。私は前、神戸に住んでいて、阪神淡路の時にも関西に住んでました。直撃ではなかったですけど被害はありました。で、東北の時は東京にいて……
……なんでこんな話したんだろう?
いや、言いたかった事は、……自分が莫大なお金持ちだったら、家を建てるとかできるけど、今なら何だろう?と。自分の出来なさ加減がすごいね……阪神淡路の時はそんなことなかったけど、東北の時は、絶望してました。自分に。
……何が言いたかったんだろう?
自分と自分の隣りにいる人、その隣の隣にいる人、小さな家族でもいいですし、友達とか、恋人とか、劇団員とか、会社の人とか、地域の人とか、学校の人とか、何でもいいんですけど、近いところが幸せだったら、連鎖して、みんな幸せになると思ってて、そうやって繋がっていくと、それが社会になるんじゃないかと。だから、観る演劇も、社会とは、切っても切れないものだと思う。社会的な作品じゃなくても、そういう意図でなかったとて、その演劇作品を観てる側が繋げて考えたりとかもあるでしょうし。うん。で、何でしたっけ? 質問?
社会にとって演劇は必要か?(笑)
必要というより、くっついていると思います。くっついてるし、演劇っていらないように思われてますが、いります。演劇なくてもご飯食べれるし、色々状況もあるし、わたしだってお芝居観れるメンタルじゃないこともある。でもそんなこと言ったら、すべてのものがそうじゃないか!とも思うんです。
演劇は、コミュニケーションが必要。だからこそ、演劇はいると思います、社会に。豊かになる。でも現実、今の世は、あんまり普及してなくて、これどうやって使うの?と、わからないものになってる。わかってる人は、これはすごく楽しいとハマるけど、わからない人は、いらないんじゃないかってなってる。
でも、実際、学校でも演劇取り入れる教育もあって、私も石川県の学校に行ってワークショップの助手をやった事もありました。コミュニケーション取るとか想像力とか。演劇って、枠があんまりないから……生きる上でのもうけもんがたくさんある。だから「必要」というか、くっついてて、もっと活用したら豊かだと思います。

一番前のセンター好き

質問がとんでるように思われるかもしれないですが、小劇場と商業演劇って繋がっていると思いますか?
自分は、ふらりとこの世界に入り、小劇場と商業の定義も、感覚でしか捉えてないですが、地続きのように思います。違いで言うと、客数の違いとかなんですかね? やっぱり。
お客さんが鏡だと先程の話に出てきた時、小劇場の方がそれを感じやすいんじゃないかなっと思ったんですが……
どっちが感じやすいんだろう? 商業も数本演ったことありますが、拍手の圧……、いや、でも、小劇場でも、圧、感じますね。小劇場だから大劇場だから、は……、ないです。そんなに差は。
それじゃあ自分で出るってなった時に、特に小劇場にこだわるって事はないですか?
そうですね。あんまりこだわってはないです。ただ、大劇場だと、客席と舞台上が遠いじゃないですか。最前だと近いっちゃ、近いですが、それでも広い劇場だと最前でも小劇場の5、6列目くらいだったりする。わたしは、自分が観る時に最前のセンターで観るのが好きなんですよ。呼吸が感じられる位置で観るのが好き。自分が出る側の時はどっちでもいいけど、観る時はそっちの方が楽しいから、小劇場の方が好きかもしれない。熱量や、遠いと感じられない呼吸、表情が見れる!遠いとやっぱり声が多くを占めることになるから。
観る側の方が違いが大きいかもしれないですね。
そうかもしれないです。
出る側の気持ちとしてはそんなに変わらない?
そうですね。細かいところは色々、表出的な出し方の違いとかありますが、あんまり変わらない気がします。

休止はいや

ダルカラ休止すると言う話になった時はどう思いましたか?
驚きはなかったです。そうかーと。でも本音は、休止せず、小さなカフェでもいいから、年一回でもダルカラ公演うてたらと思います。
それは休止期間中でもって事ですか?
休止せずにいれたら、の話です。休止なら、本公演じゃなく、番外公演として、劇団員だけで何かやるというのはアリだとは思いますけどね。
またダルカラやりたいって言うのはやっぱり谷さんの一存になっちゃうんですか?
そうですね。たぶん。そうなると思います。
じゃあ、またやるぞー!ってなった時は百花さんも参加したい?
そうですね、一緒には創りたいです。

互いの魅力

新作と再演どっちが好きとかありますか?
どっちも好きです。ただやっぱり、新作の方が断然大変です。ゼロからですから。再演は一回やってる分、そこから変えなくていい部分は変えなくていいし。でも、初演でできなかったことに挑戦したり、新たな発見から生まれるものもあるし、そう言う意味での楽しさはありますけどね。今回もそうですけど、新作のまだ見ぬ何かを探す作業は本当に時間がかかる。ああでもないこうでもないという試行錯誤の時間。ダルカラはいつもそう。今回ももちろん。ワクワクと共に。
小劇場だと、公演期間は長くても一ヶ月前後じゃないですか、大体。でも商業とかで、長い期間本番をやっていくと、重ねていくことでの発見はたくさんあると思います。育てることができる、作品を。新作だと、もうちょっと時間があればここまで……、というのが、本番中に来ることが多いです。初日にここまで持ってきたかったとか。でも……、新作・再演、……関係ないか。どっちにしても、わたしはそうなることが多いです。今まで生きてきて、満足行く公演なんて一つもないし。でもそれが続けている理由のひとつかもしれない。

永遠に続くよどこまでも

どこまで行ったら満足出来るんだろうって途方に暮れたりはしませんか?
暮れてたことあったと思います。でも、今はもうそれが醍醐味だと思ってる。それに、たぶん、他の職業もそうじゃないかとも思う。満足のラインは、結局、自分で決めれてしまう。ちっちゃい事一つでも、自分がここって線引きしたら、そこで止まってしまう。
つい最近、絵描きたいなーと思って、バイク乗ってたんです。今、桜の時期だから桜見てて、絵描きたい欲が出てきたんです、桜の。この景色の。でも、思った時にすぐ書けない。絵の具もないし、バイク乗ってるし。だから、頭のなかで絵を描いてたんですね。その時に、どうやってこのみえる世界を描こうかなと思った時に、今のこの感じだと、筆じゃなくて手に絵の具つけて描きたくて、頭の中で手に色付けて描いてたんです。全部、頭の中ですよ、実際には描いてないんですけど。
その時、何となく自分が描きたいテーマみたいなのが、テーマを見つけて描くわけじゃなく、桜からインスピレーションもらって、頭の中で描いていく内に、その時の気持ち……テーマみたいなものに行き着いて……。そしたら、その時、この絵はもう永遠に描き終わらないんじゃないかと思ったんですよ。よし!これで表現できた!とはならないなと。これを表現しようとすると……どうしたらいいかなぁと。描き過ぎちゃったかなぁとか、いや、ここの色はこれか?とか。そもそも、今この指で描いていったけど、指で本当に合っていたんだろうか?みたいなこと色々考えて。……爪楊枝とかでも良かったのかな?とか。終わりが決めれない。いつまででも、ああでもないこうでもないと描き続けれてしまうと。それを今、思い出しました。
でも、それって楽しいですよね?
うん(笑)なんかそんな妄想しながら運転してました。

ノックと魔法の粉と

これから芝居で何をやっていきたいですか?
何を? うーん、……わたしを観て元気になるという人を増やしたい。もちろん、作品全体をおもしろいって思ってもらえるのが一番ですけどね、あくまで個人としての願望。
私、木野花さん好きなんですよ。この間の自分が出ていた作品燐光群の「カムアウト2016←→1989」に木野さんが観に来て下さって。木野さんの出てる舞台観て、楽屋でご挨拶して会ったりはしてましたが、久しぶりに飲みに行って色々話したんですけど、、、あ、あれ?これ今話してる事と関係なかった(笑)すいません。
あ、でも私の中では繋がってるんです。話してて、やっぱり、木野さん好きだなーって思って、その普通に会話してて作品についてとか…ああだこうだって話していて、あっ、やっぱそうだ!って思うところとかもすごいあって。
考え方とか姿勢とかが似ている?
似てるなんて言ったらおこがましい気もしますが、具体的に言うのはあれなんで言えないんですけど、同じこと思ってたこととか。私が東京出てきて一からちゃんとお芝居やろう!と思った最初が木野花ドラマスタジオで、半年、木野花さんと一緒にお芝居を作って。自分にとって、木野さんは月影先生みたいで。昔はすごい怖くて、まともに喋れなかったです。
その頃、木野さんに言われた事が色々あってそれが今だに一杯残ってます。木野さんが、あの時ああ言っていたけど、あの意味って何だろうと自分が演劇をやっていく中でそれがずっとある。探してる。もしかしたらこうかな?こうだったのかな?っと思うことが今だにあって。
舞台上で木野さんを観ていると、喜劇であれ悲劇であれ、なんかこの人観てると楽しい気持ちになるなって思う人なんですよね。木野さん、なんか観ちゃう。おかしな事やってる時も、そうじゃない時も、なんかこの人観てると元気になるなみたいなのが私にはあって、私もそういう風になりたいんです。どうやったらそうなれるのかはわかんないんですけどね。生きることと、ぷらす○○○○○なのかもなぁ。私もどんな役であれ、わーい!!という元気じゃないかもしれないけど、何かしら観てて力みたいなものを伝染できるようなそんな魔法使いになりたいです。
今でも十分そうだと思いますけど……
いやぁ、まだまだ駄目です。私、台詞多い少ないってあまり気にしてなくて、舞台上で、ただ黙っているけど、なんか観ちゃうみたいな、そんな生きてる人に、俳優に、なりたいです。もっともっと日常と繋げられるようになりたい。思考を変えたい。自分の癖じゃない方向にいきたい。実際自分が舞台観に行った時でも、悲劇喜劇関わらず、えぐい作品でも、なんか頑張ろう!と思えたり、力になれるもの、むくむくなる作品が好きです。この人観たら元気になる、そんな俳優になりたいです。
脚注
※1 DULL-COLORED POP 第8回本公演「マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人」