DULL-COLORED POP
vol.17『演劇』俳優ロングインタビュー:渡邊りょう
「演劇」やりたいなんて言えない
- 演劇を始めたきっかけを教えてください。
- 僕は四人姉弟なんですけど、上から2番目の14歳離れた姉が無名塾の女優なので、幼稚園の頃からTVを見たり舞台を観たりというのが身近にありました。だから自分もそういう現場に行くんだろうなーとずっと思っていましたね。ただ、僕は自意識が凄く強かったので、周りからも「りょうは俳優になるんだろう」と言われている中で、「なりたい」と言うのも恥ずかしくて、24、5歳になるまでは一歩踏み込めないままだったんですが。
- 芸能関係のような仕事もやっていなかったんですか?
- 全然やってなかったです。そういう道に行きたい願望がある事自体、言ったらいけないと思っていたんです。そういう普通じゃない考えを持っているという事が、どんどん「恥ずかしい事だ」と思うようにもなってました。
- 他のご兄弟もやられてなかったんですか?
- やってないですね。次女だけが女優を今もやっていて、長女は絵の道に進んでいます。姉・姉・兄・僕、という順番なんですけど、男二人は消極的な感じです。上の二人は色々アクティブで、自分のやりたい事やってる人たちですね。
- 24歳になって何か転機が訪れたのでしょうか?
- そうですね。何かやりたいと思いつつ何も出来ないという人生をずっと送ってきて、自分がこうあるべき、ありたいという自分のイメージしてるものと、現実のギャップみたいなものがいっぱいあって、それを抱えたまま引きこもったりしてました。そんな時に父親が癌で亡くなったんです。その葬式の時、母親の友達がうちの家族の事を色々話してくれたんですけど、僕の名前だけ言われなかったんですよ。それが凄い悔しかったのと、なんか父親に申し訳ないという気持ちがありました。自分はやっぱり何も出来てなかったな、と。何もしてこなかった自分に言い訳つけて、俺はやれば何か可能性がある、みたいな事を思ってきた中で現実を突きつけられて、何にも出来てない自分を直視した時に、ダメだなぁと思った。そうしたら、芝居をやってる姉が、今度こういうところがあるからやったらどうだい、と勧めてくれたんですね。その勧めてもらったところにワークショップを受けに行ったのがきっかけで、芝居を始めました。ワークショップに参加してみて、演劇の現場に「あ、いていいんだ」と思えた環境だったんですよね。そう思える演劇と出会えた。そういう流れで始めました。
- 映像ではなく舞台が最初ですか?
- そうです。ベニサンピットという劇場が初舞台です。そこで色んな面白い役者さんであったりプロデューサーの人とか、凄い人たちに無知なまま出会えました。
- 事務所にも所属はしてなかったのでしょうか?
- はい。最近になって『悪い芝居』※1という劇団に入りましたが、基本はずっとフリーで自分がやりたい事だけをやってきました。好きな人たちを参考にして。
一人じゃなくなってみた
- 『悪い芝居』に入ったきっかけは何でしょう。
- ずっと一人でやってきたから、劇団というものに興味がありました。毎公演毎公演、スタート位置が0から始まる環境じゃなくて、1年に1本同じところでやっていれば、翌年になったらより高いスタート位置から芝居が出来るんじゃないか、と思ったのがきっかけで、なんとなく探していました。そういう環境が欲しかったんですよね。それで、どうしようかな、劇団に入りたいなと思っていた時、ダルカラードポップをきっかけに『悪い芝居』と出会って、主宰の山崎彬が「りょうくん、来年一緒にやらないか」と言ってくれたんです。出て欲しい企画があるんだけど、もしその中で相性が良くてお互いがいいねと思ったら、うちに入っても良いしと言ってくれた言葉が嬉しくて。それで『マボロシ兄妹』※2という作品に参加して、出てみたら面白かったので。僕は基本的にノリと言ったら言葉が軽くなっちゃうんですけど、勘で決めちゃう方なので、打上げの席で「入るの?」と聞かれた時に「入ります入ります」と答えました。
- でも京都の劇団ですよね?
- そうです。だから最初に、僕は東京に居ますよというのと、個人でやっていくという事を凄く大事にしたいのでそれが第一になりますよ、それでもいいんですか、という話をしました。それでも「まぁええんちゃいますか、東京支部みたいな事で」と言ってくれたので、入る事になりました。
- 劇団に入ってみてどう思いましたか?
- 入ってみて、やっぱり大変な部分はありますよね。責任もあるし、自分のペースと悪い芝居のペースがあって、その二つを両立させる事がまだ難しいです。自分は自分の直感や感覚で生きてきたので、年に2本しか芝居やらなかったりしてたんです。それ以上は無理だと思ってたので。それが今は年に6本ぐらいになってます。有難い事なんですけどね。役者の人たちは、舞台に出ない期間が長いと不安になる人が多いらしいですが、僕は埋まってると不安になるタイプで、今月これに出て7月にこれに出て9月にこれに出て、あ、こういう人生を俺は1年過ごすんだと思うと、「あぁーどうしよう」と思っちゃうんですよ。
- それはじっくり考える期間がないからという事ですか?
- いえ、単純に「こういう人生を送る」というのを想定すると、もういてもたってもいられなくなってしまうんです。元々、学校のような決められたレールから外れちゃった人間というか、かっちりやりましょうというのが生理的に苦手で、学校は毎週月曜日は休んでいたし、火曜日の1限2限も休んでいたし、自分のペースでやり過ぎていました。だからなのかな、ふとした瞬間に演劇から離れてもいいという状況に身を置いておきたいんです。演劇だけが全てじゃない、プライベートも大事だし、生活も大事だし、演劇以外の可能性も大事、とした中で、結果いま演劇を選び続けているというのが、凄く大切な事だなと思います。こうしなきゃいけない、演劇やり続けなきゃいけない、になると自分の首を締めちゃって、いや違う、となるんですよね。自分の本当に演劇をやりたいという気持ちが純粋にある中で続けられたらいいかなと思ってます。
人として生活する為
- 舞台をお休みしていても、いつの間にか演劇をまたやりたいなという気持ちになるのでしょうか?
- なりますね。僕が演劇をやり始めて何が一番変わったかといったら、人との繋がりが変わったと思います。前は友達があまりいなかったけれど、自分の周りに演劇が繋げてくれた人たちがいっぱい増えたので、喋る内容も演劇の話が出来るし、自分が演劇で悩んだり考えている事も色々話し合えたり、人とコミュニケーション出来る事で凄く豊かになりました。演劇が無くなってしまうと今の僕も無くなってしまいますから。
- 僕ね、引きこもってた時期に、1日に1回も喋らない事なんてザラで、第一声が枯れてて何も喋れなかったり、人に挨拶されても返せなかったり、美味しいもの食べても美味しいと言えないとか、おはようすら喋れなくなってたんです。僕は静岡出身なんですが、歌手になると言って初めて東京に出てきた時にボイストレーニングを習い始めました。ただあまりにも僕が喋れないから、1時間のレッスン中、30分エクササイズをやって、30分日常会話をしていたという時期があります。ボイトレの先生とマンツーマンで普通に喋る、雑談とか今バイトがどうのこうのとか、恋愛の話もしていたかな。その頃から少しは人間らしく生きれるようになったというか、それまでは、何かにぶつかったら、逃げろ、また何かにぶつかった、逃げろ、という具合に色んな所から逃げる選択肢をすぐチョイスする人間で、逃げ続けてましたね。
- それは高校生の頃ですか?
- 高校もそうですし、中学の時もです。いろんな事から逃げてたなと思います。だから地元にはあまり友達はいないですね。それでも付き合ってくれる友達は3人くらいいて有り難いと思います。
- 日常会話のレッスンというのも面白いですね。
- レッスンじゃないんですよ。普通の雑談のように「何があったの」と聞かれて、前回のレッスンから今日までにあった出来事を喋り続けるような感じです。あの頃は光のない黒目をしてました(笑)『ファイトクラブ』という映画で、エドワード・ノートンとブラッド・ピットが二重人格の役なんですが、あの時のエドワード・ノートンの暗い表情の目だと言われた事があります。エドワード・ノートンだったらいいかなとは思いますけど(笑)二重人格になる役と同じくらい暗かったんですよね。
- 今はそういう面は全く出て来ないんですか?
- 今もありますよ。こうやって人と会う時にエネルギーが貰えたり、人と話す事が楽しいなと思える事はいっぱいあるけれど、プツっと切れてオフになるような、人と関わりたくない気持ちになるというか、電話がかかってきたりメールが来るのが怖かったりして、ちょっと1回待たないとダメだ、という事はあります。例えば演劇の現場だと、イェーイ!というノリの人達と無理して合わせると、もう浮ついちゃって全てが上擦るんですよ。だから自分のペースは崩さないように、みんながイェーイ!とやってても、僕は心でイェーイ!と思ってなかったらイェーイ!はしないし、みんながワッハッハと笑ってても面白くなかったら笑わない、という事を大事にしないと、自分がどっか行っちゃう気がします。ちゃんとわーって騒いだり喋ったり、という時は、喋りたいから喋ってるなーというのが実感としてあるので、そういう自分も生まれたのは良かったですが、そうじゃない元々の自分もいて、厄介ですね。
- 客演で初めての現場に行ったりすると、元々の自分が出てきやすいですか?
- 芝居したての頃はそういう現象が多々あって、1週間2週間損しちゃいましたけど、今は流石に無いですね。それは自分が初日までに向けて踏まなきゃいけない、心のメンテの段階と芝居のメンテの段階を構築出来てきたからだと思います。自分なりに自分のペースを大事にすることが一番作品に貢献できる、そんな結果が返ってきたのも大きいです。ダルカラードポップのようにマイペースな僕のまま受け入れてくれる人たちが出てきた。何より初日に間に合わせる作業が第一なので良い意味で余計な事を気にしてるゆとりが無くなりました。
僕とDULL-COLORED POP
- ダルカラと出会ったのは谷さんと出会ったからですか?
- 今回も共演する井上裕朗さんとは僕の初舞台で共演していて、裕朗さんが出ている舞台を観に行って、ダルカラに出会いました。それから『Caesiumberry Jam(セシウムベリー・ジャム)』※3のワークショップオーディションに参加したんですけれどダメで、でも『日本の問題』※4という短編のオムニバスのダルカラ作品に呼んでもらって、それからの付き合いですね。だから意外と長いんです。ダルカラの客演陣の中では一番出ているんじゃないかと思ってます。作品数で言ったらもう5~6本は出てるんですよね。リーディングも出てたし。だからホームのような気持ちです。ダルカラの稽古初日は、必ず全力で、今ある全てを出さなきゃ間に合わない、と思ってるぐらい怖いし、谷さんがハードルをしっかり高く掲げてくれるので答えたい、という思いがあります。一番やりがいがある現場と言ったら他のところに失礼ですが、自分が能動的にならざるを得ない現場ですね。
- 谷さん以外の他の劇団員の要求も高いのでしょうか?
- 高いんじゃないですかね。僕よりも演劇歴が長い人たちが多いですし、それぞれの考えをちゃんと持っていて、しっかりとしたそれぞれのカラーがあって、いっぱい話せる人たちです。『アクアリウム』※5の時に、僕は稽古初日からいっぱいいっぱいになっていて、みんなに「助けてくれ」と言っていたんですよ。俺は読解はダメだから、と。ダルカラは初日から頑張らなきゃいけない、いい作品に持っていくためには、もう俺の手だけじゃ足りないと思って、みんなに委ねて、毎日、毎日違う人と話して相談に乗ってもらって、というのをやっていました。自分の一番出来ないところをみんなに知ってもらって、よくしてもらったり自分からも返せるようになってきた、そういう事を一公演で体験出来たので、信頼が生まれました。プレ公演も入れたら50ステージくらいやりましたから。みんなと話すという事が、どこの現場より当たり前な環境があって、幸せですね。
演劇が全てではなく
- 今まで演劇をやめたいと思った事はありますか?
- あります。『アクアリウム』の時にもやめようと思いました。何で俺はこんなに辛い人生を歩まなきゃいけないんだとか、こんなにひどい辛い事をしなきゃいけないんだ、もうやめてやると思いましたよ。今となっては笑い話ですが『アクアリウム』の時に年末のイベントがありましたよね。あれで「渡邊りょう、ストリップをやる」と飲みの席で決まって、何で俺は人生でこんな事をしなきゃいけないんだ、これだけ傷つく事をやらなきゃいけないんだったら、もう演劇をやめてやるって(笑)それを全部、役に還元しましたけどね。他にもいっぱいあります。実は、台本見た瞬間に、何でこんな役をやらなきゃいけないんだ、と毎回思って、見事に傷つきますね。自意識のせいですかね? やたら傷つきやすいんですよ。
-
自分がやりたい役をやれるとは限らないのですね。
- 結果的には、この役、好きだなとなるんです。でも最初は、何でこんなに辛い事しなきゃいけないんだ、恥ずかしい事しなきゃいけないんだ、と思います。僕は、芝居する事が凄く恥ずかしい。でも、じゃあ自分が出来るためにはどうしたらいいんだろう、とやりくりしていって、これだったらいけるな、と納得していくと、楽しくなってくるんですよね。演劇は克服していくものだ、と言うのはちょっと違うと思いますが、少なくとも僕は克服した事がどんどん増えてきています。ちゃんと嫌なものは嫌と思いつつも、本当に嫌なのか?としっかり向き合って、嫌と言うだけで見えなくなっているものから、いいところを見つけられたり、そういう事があるから、考え方は豊かになりましたね。
- りょうさんはどうして演劇をやっているのですか?
- 僕は演劇と出会う前は、何をやりたいのか分からず悩んでいました。これがやりたいっていう事が一切なかった。でも、小さい頃に思っていた芝居をやりたいというか、スターになりたい、人気者になりたい、という心電図みたいにピコーンていうくらいのちょっとした波、その欲求のようなものを、ずっとしまいこんでいたんですが失う事がなかった。そのピコーンは、演劇だけ、他にはなかった。小さいけれど本当の自分の欲求なので、このピコーンは、僕の真実だと。だから簡単に言うと「いろんなもの」と「演劇」をその都度、天秤にかけてやりたいからやってます。
「人間」
- 俳優として目指すところはありますか?
- 役でなく「人間」を演じる役者になりたいです。僕の考えとして、自分じゃない他人と向き合って、その他人というものと向き合い続けた先に、「人間」というものが出てくる。そうなれたらいいなといつも思います。役をどれだけ人間として信じられるか、を信じさせるかを大事にしたい。2時間ぐらいの台本に、一見一面的にしか見えない人物がいっぱい出てきて、でもその人が30歳だったら、30年間生きてきているわけだし、一目見ただけではわからない面がいっぱいあるはずだから、そこを大切にしたいんです。自分を「渡邊りょう」という役として台本に書かれたとして、それを誰か役者に、こういう役でしょと決めつけられて演じられたら、寂しいなあと思うんですよ。演じる役が、どんな変態であろうと、20年、30年、10年でも1年でも生きてきた「人間」として、コミュニケーションしていくという事を続けていきたいなと思います。それは演劇だけじゃなく、日常でも。人がある一面を見せた時に、その行動だけで人を判断したらいけないなと思っています。一つの行動だけがその人の全てを表すわけじゃない、多面的なものが人間だと思っているので、どれだけ多面性を広げられるかを大事に、芝居でも役割を担うのは第一段階で、その人の役割以外の多面的な部分をどれだけ知って、発見できるか、という事が、演じる上で出来たらいいですね。
- 台本から色々な多面性を引き出していくのでしょうか?
- そうですね。答えは台本にしか書かれてないとみなさん言いますし、多分そうなんだと思います。ただ、これ説明するのがややこしいですけど……僕が台本上の「役」と話をして、自分とは違う「他人」と出会うことが第一で、そこから「渡邊りょう」と「役」の距離を把握する。まず自分と役との違いを知らなきゃ、役との正確な距離が測れなくなる。その違いをどれだけ「渡邊りょう」として歩みよれるか、歩みよった部分が全部その「役」になれる部分、舞台上でその「人物」に見えてくる部分じゃないかなと思っているので、基本は「渡邊りょう」がいないと、その人とも会話も出来ないし、「他人」という事をちゃんと見つけないと、その人を本当の意味では見れない。距離が離れている事を把握しないと、役との会話が止まっちゃうと思うんです。「分かる、分かる」という事よりも「分かんない」事を大切にして「分かりたい」にしていきたいなと思います。そういうアプローチを常に大事にしたいです。
-
そういうアプローチの仕方は誰かに習った事なのですか?
- 色々な人たちを見てきて考えている事だから、習っているのだろうけれど……。僕は演劇とプライベートの垣根がない方なんですよ。だからきっと、例えば恋人とか、友達とか、上司や後輩とか、人と向き合う時に同じ事をしたり考えたりしてきたように思います。だから日常で学んできた事ですね。
- 面白い考え方ですね。
- どんな役でも存在している人なんだよ、という事はお客さんに届いたらいいなと思います。
お客さん
- りょうさんから見て、観客はどういう存在ですか?
- ちょっと語弊があるかもしれないですが、舞台上で僕がやっている事を、お客さんに観せたいとはあまり思っていないんです。だから背を向けて芝居をしていても問題なくて、僕と対峙している誰かだったり、対峙している問題だったり、やり取りをしているその関係性や作品が、お客さんに伝わればいいなと思っています。僕にとってはある面では演出家とお客さんは同じかもしれないです。自分が外から見えないからどう見えてるの?って聞きたい人。お客さんの感想が発見に繋がる事もあります。ただ、どんな作品でもお客さんに渡さなきゃいけないと思っている要素があって、どんなに暗い話でも傷つく話でも残酷な話でも、生きるという選択をし続けるというのはポジティブな事じゃないかなと思っているので、どんな結末であれ、生きようとしている作品、役でありたいなと思います。それをお客さんに渡せれば、どんな話でも希望の光をもたせられる、俳優はそれを渡す仕事だと思っています。立川談志さんの「人間の業の肯定」のような事を演劇でやりたいです。「生きる」というひとつのピースだけは、しっかりどの作品でも持ちたいですね。
他人と向き合うということ
-
色んな事を考えてらっしゃいますね。
- 話がそれちゃうかもしれないですが、人間の感情にはいっぱい嫌な感情がありますよね。その感情はダメなものと捉えがちなんですけれど、役者をやっていて気づけたのが、それは財産であって、全部いい事だと思うんです。僕も闇を抱えている方なので、こんな奴いなくなればいいのにとか、殺したいと思うような感情が生まれるかもしれない、でもその感情は僕は悪い事ではないと思うんですよ。生まれてしまった、それは衝動でしかない。感情が衝動で生まれたあとに、コミュニケーションとしては渡し方がある。例えば、この人嫌いだなと思った時にも、ちゃんとパッケージングして、きれいに包装して、「どうしてもあなたの事が嫌いなんです、こういう理由で申し訳ないんですけど」という丁寧な渡し方をしていれば、そこで他者との関係性に誠実さが生まれるんじゃないかなと思います。逆に好きだという気持ちであっても、投げつけたら相手は傷つくだけだし、やっぱり渡し方が大事なんですよね。それは、海外の俳優さんは上手いなと思います。日本人はそこが弱いなと思っているので、演劇はいい財産になるんじゃないかなと思います。
- もう一個言いたいのがあるんですけど(笑)コミュニケーション能力というのは空気を読めるとか、その場でノリを合わせるとか、効率がよい事として捉われがちですよね。でも僕が思うのは、わかりあえないことと出会った瞬間から必要とされるものがコミュニケーション能力だと思うんです。この人とはこういう事が違うんだって感じた時にどうするか、からがコミュニケーションが始まるところであると思っています。例えばこういうインタビューで質問された時に、2年かかって話してもいいんじゃないかなぁと思うんです。人との付き合い方がたかだか10分1時間だけで終わるものじゃないと思うし、その人と2年間10年間30年間かけてひとつの事を、焦らずに分かろうとし合えたらいい。そう思ったら、色んな人と向き合えるんじゃないでしょうか。
- コミュニケーションという事に関して昔から凄く考えていたんですね。
- そうですね。分かって欲しいという欲求が強かったんです。自意識も強いし僕を丸々分かって欲しいという欲求が常にありました。でもそれは全然分かられないと知った時にも、諦めなかったんですよね。ずっと話し続けて、ずっと傷ついてきて、そしてある時にポンとひとつ答えが出たんです。どうやら僕の「問題」を話したいのに、僕の「言い方」に対して傷ついたりしている。そこで自分の中の問題を自分から切り離したんですよ。ちょっと難しいですか?(笑)文字にすると分からないかもしれませんが、例えば二人で話していて、「こういう問題があるんだ」と語っていると、余計な要素が多すぎてあまり問題点が伝わらなかったりする。二人だから二点で話してますが、もうひとつ椅子を増やしてそこに「問題」を置いてあげて、二人でその問題を俯瞰して話す。この問題に対してあなたはこういう風に見てるんだね、僕はこういう風に見てますよ、そこのずれが僕は凄く傷つくし、僕にとっては100ぐらいの問題なんだけれど、あなたには多分20ぐらいの問題として受け入れられてるよね、という事を自分たちから切り離して話せると、そうなんだ、80ぐらい違うんだな、という事が冷静に分かって、楽な関係性を築けるのではないかと思います。
- 凄く勉強になります。
- コミュニケーションはラリーだけじゃなくて、絵を描いて伝えたい人もいるし、小説にする人もいる、映画にする人もいる、ダンスもあったり。芸術は、何かを伝えたいという人たちが言葉のラリーだけじゃなくて編み出したものだと思っていて、だから色んなやり方があって、その渡し方は多分もっともっと豊かなんだろうなと思っています。それを演劇に還元出来たらいいなと思ってるし、演劇で生まれたものをプライベートで人間関係にも還元出来たらいいなと思ってますね。
「空気」
- りょうさんは『悪い芝居』で映像を撮ってらっしゃいますが、みなさん楽しそうに撮られてますね。
- 僕が楽しむからなんですかね。僕は距離感が近いみたいです。元々存在感を消しがちというか猫にも気づかれないんです。21年間生きた猫がうちの実家にいて、死ぬ3日前ぐらいまで雀を取ってきたりする野性の猫だったんですけど、その猫が全盛期の頃に、日向ぼっこしている後ろを忍び足で行って気付かれず背中をタッチ出来たんです。
- 凄い!!
- 自分の呼吸を変えるんです。息を止めたら気づかれるので、ゆっくりした呼吸に変えて、日向の流れてる空気と同じ呼吸に合わせるんですよ。感覚だけですけど。僕が緊張すると、緊張が空気にピクっていう振動を与えてしまうので、僕自身がリラックスして深呼吸してゆっくり呼吸を流したまま、揺らいでいく感じでちょっとずつちょっとずつ近づいていく。あとはもうその呼吸のまま、背中をちょっと触ったら、猫が1メートルくらい飛び跳ねて捻りながら僕の左手を引っ掻いて血が飛び散って(笑)あまりにもびっくりさせ過ぎて、反撃を食らいました。人を驚かすのも好きです。
- 本当に色んな事を考えてますね(笑)演劇でもよく呼吸が大事と言いますよね。具体的にはどういう事なのでしょうか?
- 演劇的に「呼吸が大事」と言う時は、どこからの切り口で言ってるかによって全然違ってくるんですよ。例えば、単純に身体の構造とか心の構造で、息を止めてる時というのは感情が動きづらいらしいです。だからリラックスしていた方が感情の流れが通りやすいと言われていて、僕も実際そうです。それから、呼吸が止まると空間も止まるという感覚が僕にはあって、呼吸が止まる感じは相手に伝染するんですよ。人間て結構敏感なので。そうすると息苦しい空気感になっちゃう、それが必要だったら使ったりします、他にも呼吸で渡せるものはたくさんあります。あとは、呼吸の深さの違い、全身まで通る呼吸と、胸から上だけでしてる呼吸でも全然伝わり方が違います。台詞では意識的に呼吸に言葉を乗せ、言葉をどんどん前に紡いでいくよう心がけています。
社会と演劇
- 社会にとって演劇は必要だと思いますか?
- 僕は社会性がなく人とコミュニケーションする事が苦手だった、という人が他にもいっぱいいると思うんです。僕は演劇を通して人と自分の言葉で喋る事が出来るようになったし、さっきも言ったように全部の感情を肯定出来る、まずどんな自分も肯定出来るというのは大事だと思います。自分から生まれたものを全部肯定する。人が言うものに合わせちゃうと、自分がいなくなるんですよね。演劇は自分を発見していく、他人を発見していくという事だと思うから、それは凄い豊かだと思いますし、生きていく上で一番必要な事だと思います。
『演劇』
- 今回の作品についての意気込みは?
- ダルカラの最後の公演、休団という事ですが、本当に今回小劇場演劇の新たな面、可能性を見出せなかったら、小劇場の価値がわからなくなりそうです。ダルカラのやろうとしてる最後の挑戦が形になったら、他でも足掻いてる人たちの助けになると思いますし、何よりも僕の助けになります。演劇が好きで続けたいから、この公演は何としてでも成功させなきゃいけないと思っています。そしてこの『演劇』という作品は本当になんなんでしょう。僕がすごいと感じていた演劇は、僕の想像を超えて、日常や人生まで飲み込んでどんどん膨らんでいきます。演劇を好きでい続けるための作品になると思います。自分勝手ですけど。
- 言い足りない事はありませんか?
- 健全に、演劇で狂っていきたいと思っています。やってる側が幸せになるものが、お客さんも幸せにする。自分を不幸にして相手を幸せにするというのもあるとは思うんですけど、でも僕の本質としては、ちょっと違うんじゃないかなと思います。自分を健全にする事、自分が自立する事で人を支えられる、それは演劇でもそうだと思うので、そのための苦しさはいくらでも耐えられます。苦しむために演劇をしたくはない。一番大事な、幸せになる演劇のために、苦しむ事は出来ます。そこは順番変えたくないなといつも思います。僕も傷つきがいがあります(笑)
- 脚注
- ※1 2004年結成の京都を拠点とする劇団
- ※2 アンダーヘアvol.1『マボロシ兄妹』
- ※3 DULL-COLORED POP第10回本公演/活動再開記念公演
- ※4 日本の問題製作委員会企画公演
- ※5 DULL-COLORED POP第13回本公演