宮地洸成インタビュー

──まず自己紹介をお願いします。

宮地:宮地洸成(みやちひろなり)と申します。いま二十歳で大学行きながらお芝居をフリーでやっております。

──出身はどちらなんですか?

宮地:僕は東京生まれ東京育ちなんで都会っ子ってよくバカにされます。親からずっと東京ですね。東京以外には縁がないというか、旅行とかでたまに行くくらいですかね。

──今回ダルカラのオーディションに参加しようと思ったきっかけと、実際に参加してみての印象を伺えますか。

宮地:参加したのはダルカラの『河童』を初めて観てそこから全作品を観ていて、好きな劇団だったんです、簡単に言うと。だからいつか参加したいなぁという気持ちはありました。

──『河童』を観てどんな感想でしたか? そこで何か感じてまた次の公演も観に行ったんですよね?

宮地:いやー、あんまり覚えてない……って言っちゃいけないですね(笑)。たまたま『夏目漱石とねこ』っていう面白そうな芝居がやってるから観に行こうって行ったら「あ、これダルカラ、『河童』の劇団だ!」って偶然が重なって。

──これだけ色々エンタメがある中で、芝居を選んだのは何か理由がありますか?

宮地:高校時代に演劇部に入っていて、ダルカラ観たのも高校時代だったんですけれど、演劇部に入ったのはちゃんとした理由はなくてとりあえず部活に入らなきゃという感じで。

──その理由で演劇部選びますか? (笑)

宮地:何なんですかね(笑)。本当に何で選んだのか覚えてないし特に理由があったわけでもなかったので……

──人前に出ることについては抵抗がなかったんでしょうか?

宮地:普段はともかく、いざ演技をしろって言われるとちゃんと人前で恥ずかしがらずにやることが当たり前というか、そういうのを求められてるから逆に開き直ってやれますね。

──そのまま大学に入ってからも演劇を続けてたんですか?

宮地:そこがダルカラと僕は関連したエピソードがあって、僕、高校の演劇部卒業して大学の演劇部とかには入らなかったんですよ。何でかって言うと、高校時代に演劇部の先輩から「大学演劇はクソだから絶対にやめとけ!」って偏見を植え付けられてたわけですね。一応弁明しておくと、高校演劇も大学演劇も、クソなのもあるしいいものもあると思ってますよ、今では(笑)。

そういうわけで、大学時代はちょっと別のことをやってみようと思って、放蕩生活? みたいなのを送っていました。それでダルカラの『演劇』がちょうど大学一年生の時にやってて観に行ったんですけど、進路のこととか未来について考えなきゃいけない時期に、ちょうど『演劇』っていう、すっごいざっくり言っちゃうと「自分の好きなことをやろう!」みたいに思える芝居に出会えて勇気付けられたんですよ。それで『演劇』を2回観て、すぐ「芝居やろう!」とはならなかったんですけど(笑)でも「自分のやりたいことをやろう!」っていう考えは残ったんです。そこから、友達の芝居観て楽しそうに見えて、自分も芝居やろうかなぁみたいな。

ダルカラが大きなきっかけになったというわけではないんですけど、ダルカラ観て、じゃあ「好きなことやろう!」「やっぱ芝居楽しいな!」って気づいて今こうやって続けてる感じですね。ちょっとうまく説明できない(笑)。

──今も大学の中の団体には入らずにフリーでやってるんですね。

宮地:そうです。フリーでふらふらしつつオーディションもふらふらしつつ、そしたらダルカラがオーディションやるってことになってこれはもう絶対に受けなきゃ! 受からなきゃ! という結構高いモチベーションで臨んだら本当に受かった。「やったー!」って感じです。

──実際に稽古に参加してみての印象はいかがですか?

宮地:いやぁ、難しいなぁっていうのが……難しい言葉もたくさん出てきますし、ダルカラの劇団員の方とか客演の方とかがすごく上手いのでそこに追いついていかなきゃって思うと、自分が本気でやっても全然届かないレベルじゃないですか、目指しているところが。言葉への想像力をもっとつけないといけなかったり、かといってモタモタしているわけにもいかず、その難しさにやられないように必死に食らいついてやろうかなって思ってます。

方言もいま苦労してます。独特のイントネーションで伝えられるニュアンスとかがあるじゃないですか。それを福島ネイティブの大原さんとか大内さんに教えてもらえるんですけれど、それがなかなか身につかないと、いざテンション高くなって芝居やった時にすぐ出てこないし、それを気にし過ぎててやりきったなって思っても、今の方言あってたかなぁ……みたいな不安感が常にあるので、方言もやらなきゃいけないしお芝居ももちろんやらなきゃいけないし、結構やらなきゃいけないことが多いんです。

──方言のお芝居は初めてですか?

宮地:初めてです。方言指導は基本的には大原さん大内さんにチェックしてもらってダメだしもらっての繰り返しですかね。音に慣れないととっさに出てこないですし。大原さんが今日言ってて面白かったのが、だんだんみんなのエセ福島弁が普通になってきて自分もわからなくなってきたって(笑)。独特の福島弁がいま稽古場に出来てきちゃってるのかもしれないです。

──福島の人が聞いたらちょっと違うって思いそう? (笑)

宮地:今回、時代が違うってのも難しいところではあるのかなと思います。昔の方が訛りが強いと思うので。

──1961年だと全然知らない世界ですよね。

宮地:そうですね。東京生まれ東京育ちの僕にとっては田舎の風景にも馴染みがないですから、想像力も必要だし、方言以外にも福島について知らなきゃいけないし、本当にやることがたくさんあるんですよね。

──2011年3月11日に何をしていたか覚えていますか?

宮地:僕は中学一年生で学校の式典をやってる時で、大きな地震が東北の方であったと。みんな家に帰らされてしばらくずっと家にいました。親戚を亡くしたりとかは僕の周辺ではなかったので、すげえことが起きたんだっていう実感があんまりなかったですね。

──学校からは普通に帰れたんですか?

宮地:はい、学校から家がとても近かったので。ニュースを見ると津波が起きてるんだとか映像で入ってきますし伝わってきますけど、自分の身の回りで物を買いあさったとか停電の話とか聞くと影響はあるんだなって感じながら、福島の人や震源地に近いほうに比べたらほとんど変わらない生活だったように思います。

──一番印象に残ってることは何ですか?

宮地:自分にとって印象に残ってることと言えば……ちょっと陳腐かもしれないですけど、ACのCM。ずっと同じCMが流れてるっていうことで、いつもと違う空気っていうのを感じましたね。自分の生活自体にあまり変化がなかったので、自分から知ろうとしないと伝わってこないっていうことを、いま震災に絡んだ芝居の稽古をしていて「ああ、こんなに知らなかったんだ」っていうことを、最近思いますね。

──今回、震災に関連するお芝居ということで何か本を読んだりされましたか?

宮地:はい、原発に関する本とか、実際に福島に行って浪江(浪江町)を歩いてみたりとか。一人で福島に行って何も予定を決めずにとりあえず浪江町に行って一人で歩いてみるっていうのをやりました。浪江って避難解除されてからもう一年くらい経ってて、いろんなところで工事してたり壊れた建物とかも撤去されたり建て直されたりしてて、一見、ここが本当に震災の影響を受けた町だってわからないんですけど、人がいないところは本当に無人だし、公園とかは誰も入ってないから草ぼうぼうで手付かずの状態だったりするのを見ると、やっぱり震災ってあったんだって実感を持って思い出したりして。

旅行する時に下調べとか僕は全然しないタイプなので、そういう意味では収穫は少なかったのかなって思ったりもしますが、そういう風景を見る一方で、最近営業を再開した浪江のローソンが復興に向けて働いている人たちですごく混んでいたりする光景も、実際に見てきました。双葉町とかは人が住めない町だって言われてて、浪江にもそういう印象を持ってたんですけど、東京にいるとそういう偏見しか届いてこないんだなぁって思いました。人が実際に働いているところを見ると活気付けられるというか、そういうことは実際行ってみないとわからないなっていうのを実感しましたね。

──今回の作品に対する思いを伺えますか。

宮地:福島のひとつの村の話なんですが、僕はさっき言ったとおり東京生まれ東京育ちだから自分の生活とは違うことだらけだというのが大きいですし、震災事故に関して福島っていう被害の当事者としての感覚と、原発を無視してきたことによる加害者としての気持ちというか違いがあるっていうのは、ちゃんと理解して臨まなきゃなとは前から思ってて。作品の中にもそういう要素があって、福島の話なんで主に福島の人の意見が出てくるお芝居なんですけど。俺はもう東京に行くから福島の原発のことなんか関係ねぇっていうような台詞があって、これは福島の人のためだけに作られた芝居じゃない、むしろ東京とか福島以外の人たち、福島を無視して実質加害してきた、同じ国に住んでるのに無視してきた人たちに向けて作られてるんだなっていうのを感じて、僕は東京都民、生まれも育ちも東京都ですからそこはすごい身につまされる思いがする要素がたくさんある作品です。

──宮地さんが演じる役に対して、方言を抜きにした時に難しい要素はありますか?

宮地:僕は若者の役をやるために今回参加させてもらってると思うのですが、よく行く方々で「君、30代?」「……20歳です」って(笑)。言っちゃえば老け顔なんです。田舎の人の役ということで、本当にこれ自分で成立してるのかな、都会育ちの30代に見える老け顔が田舎の若者の役やって成立するんだ? っていう、そこに対する困惑はありますね。僕が自分のことよくわかってないだけかもしれないですけど。

──谷さんの演出を受けてみてどう感じていますか?

宮地:結構踏み込んだ質問しますね(笑)。なんか一個一個の注文が面白くて、谷さんには色々な意図があるんでしょうけど、「あれやって」って言われて実際にやってみるとそれがすごい楽しくて、こういうやり方ありなんだ、これやるとすげえ楽しいなみたいな発見がダメだし受ける度にあって、演劇って面白れえなっていうのを教えてもらっているってすごく感じますね。もちろんシーンによるんですけど全然自分わかってないなって実感させられることもあるので、そういう意味では本当に言葉どおり楽しくもあるし厳しくもあるし、いい現場だなって思っております。

──宮地さんのメンターは大原さんですよね。メンター制度ってそもそも誰が言い出したんですか?

宮地:谷さんです。谷さんが初日に「メンター制度をやります」って、もう組み合わせも考えてあったみたいで、僕は大原さんで。大原さんとは今回が初めましてなんですけど、僕はそれまでダルカラを観ていた側だったので、今まで役者さんとして観てた人が自分と一緒にやるんだっていう、距離感がよくわからないところがあって、最初は一緒にいても一緒にいる感じがしないというか(笑)。これ本当にあの大原さんか、あの芝居であれやってた大原さんかって最初の方は結構感じてました。稽古が進む中で、客演の方も含め皆さん色々言ってくれるのですごく優しい大人が集まってる現場だと思います。裕朗さん(井上裕朗さん)も、芝居観るとすごい怖い人だな、厳しそうな人だな、理知的だなって思ってたんですけど、実際会ってみたらニコって笑ってくれて優しくて。一緒にやれてよかったなと思います。

──では最後に観客の方へのメッセージをお願いします。

宮地:自分が東京都民だからこの芝居に思うことが多くて、だからこそ東京の人に観て欲しいなっていう気持ちがあります。今まで福島に対して無関心でいた人こそ観て欲しいなって思うし、ちょっとでも興味あるなら観た方が絶対面白いと思うし、僕も頑張ってるので(笑)観に来て欲しいです。