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大内彩加インタビュー

──自己紹介からお願いします。

大内:大内彩加と申します。大きく内側に彩りを加えると書いて「おおうちさいか」です。本名です。福島県飯舘村出身で今24歳です。福島県飯舘村の『までい大使』と、世界四大ミスコンのミス・アースジャパンの福島ファイナリストで3位になりミス・ウォーターとして活動しながら東京で役者活動を続けている女です。

──『までい大使』とは何ですか?

大内:までいとは「真心込めて丁寧に」と言う福島の方言なんですね。飯舘村自体を活性化していったり、外に向けて飯舘村の色々な情報や内包されたもの、飯舘村の歴史を伝えていく人を応援するっていうのが、『までい大使』です。

──それは飯舘村独自のものですか?

大内:そうですね。飯舘村独自のものですね。そして、飯舘村出身の役者で『までい大使』なのは私だけでして、なおかつ東京で活動しているので、この東京で何か福島のために出来ることはないかなと思いつつ色々やってはいますが、一番やりたいことは芝居なので、芝居に絡めた活動が出来ればと思っています。

──芝居はいつ頃から演られてるのですか?

大内:ちゃんと芝居の勉強をし始めたのは、高校卒業して専門学校に通ってからですね。

──それは何かきっかけがあったのですか?

大内:芝居が楽しいものなんだって思ったきっかけが、ちょうど幼稚園生の時の遠足で『オズの魔法使い』を観に行った時ですね。そこでお芝居が終わって最後に園児たちを代表して壇上で好きなキャストに花束を渡せるっていうのがあって、幼稚園側が私は片親でかわいそうだからって理由で選んでくれました。そうしたらキャストの方がクルンって私のことをひっくり返して、壇上から客席に向かっての景色を見せてくれたんです。その時に舞台上からの照明のキラキラ具合であったりとか、お客さんの目であったりとかに感動して、こんなに素敵な世界があるんだって思ったことから「あっ、お芝居やってみたい」って思ったのが始まりです。

それからお笑い芸人になりたいとか声優になりたいとか、なんかしら表現者になりたいといろいろ迷いながらもやっぱり役者をやろうと思って。舞台でも映像でも声のお仕事でも、とにかくお芝居をやろうってずっと思い続けてて、高校を卒業してからしっかり演技を勉強する為にはどうしたらいいんだろうと考えて、専門学校に通いました。

──今回、ダルカラに参加することになったのはオーディションだと伺ってますが。

大内:オーディションを受けようと思ったきっかけは、やっぱり私は被災者……かつ役者なので福島を扱った題材には出続けよう! 出ていたいって思いがすごく強いんです。それで何か福島の芝居で今オーディションとか情報とか何かないかなって思って調べてる時に、ちょうど谷さんのクラウドファンディングの企画を見つけて。谷さんがこういう思いでこの芝居をやりたいって言う文章を拝見した時に「あっ! これだ! 私がやりたかったことはこれなんだ!」ってすごい思ったんです。ちょうどその時、佐々木蔵之介さんのリチャード三世だったり、デジモンアドベンチャーの舞台を控えていたり、谷さんがすごい活躍されている時期で。まだオーディションの情報とか一切出てなかったんで、きっと劇団員の方とか外部から人気のある役者さんを使うんじゃないかな、とは思ったんですけど……でも、ちょっと一発頼み込んでみようと思って(笑)。ちょうど「ふくしま再生の会」の活動に谷さんが関わっているのを知って、その会には東京大学大学院の溝口教授という方もいて。実は溝口教授とは『までい大使』の関係で何度もお仕事をしたことがあったので谷さんのお話を伺って、「私はこの作品にどうしても出たいです」って手紙を書いてみよう! と思ったんです。その矢先にオーディション情報が発表されて「はい! 運命!」っと思って(笑)。しかも、若手オーディションで「はい! 私若手!」っと思って(笑)。27歳以下だったんですね受けられるの…それで自分の年齢を再確認していけると思って、オーディションに応募したのがきっかけですね。

──すごいタイミングでしたね。

大内:すごいタイミングでした。手紙を書かずに済みました(笑)。書いてみても面白かったなとは思うんですけど……。

──実際に参加してみてどうですか?

大内:「あなたに出て欲しいと思っています」と言うメールをいただいて、谷さんにも面接していただいて、更に制作の小野塚さんに「本当に私出るんですか?」ってもう一回再確認して。「もちろんです。出ます。」って言われて「あっ、出られるんだ。」って感激して。ついに、チラシも発表されて「あっ! 私やっぱり出るんだ。」って、そこから稽古初日迎えるまで自分がこの作品に出られるってことが信じられなくて。本当に、本当に、一番出たかったものなんです。もちろん、これからも福島の芝居には出たいとは思い続けるんでしょう。

正直に言うと、3・11当時に高校生だった自分が報われるように活動しているところがあるんですね。なのでこの作品に出たら、あの時の私が少しでも報われるんじゃないかって思いもあって、それだけの理由ではないですが、この芝居に出られるってことが信じられないほど嬉しくて。

でも、実際に稽古通い始めて……もう九日目くらいになりますけど、「いや~~~本当に幸せものだな」っと思って楽しさしかないです。こんなに芝居って無限大の可能性を秘めてるんだと、ここの稽古場に毎日毎日来る度に本当に本当に楽しくって。もちろん諸先輩方であったり谷さんであったり若手の三人であったり制作の小野塚さんであったり、色んな方々の支えであったりご助力の上に成り立っているんですけど。「こんなに芝居って楽しいものなんだ。私本当に芝居好きなんだな。」って毎日毎日思わせてくれる現場です。この芝居をやっていて感じることは、とにかく多くの人に観に来てほしいということ。例えば芝居を観たことのない方であったり、福島のお話はちょっと……という方にも。あと舞台をよく観ている方。勿論、ダルカラ好きな方や好きなキャストがいらっしゃる方。そしてこの言い方すごく失礼ですけど、最近面白くない芝居を観た方、付き合いで舞台を観に行ってる方、役者関係でも多いんですよね、付き合いで行かなきゃならないとか付き合いで渋々観に行ってますという人。そうじゃなくて、私は「面白い舞台を観てほしいから」ダルカラをオススメします。付き合いとかそういうのは無しに、役者として、舞台というフィールドで戦う者としてこの作品を観てもらいたい。「芝居ってこんなにすごいんだぞ、面白いんだそ、心揺さぶられるんだぞ」っていうものを観てもらいたいって、こんなにも純粋に思える作品って久しぶりだなっていうくらいに楽しいです。とにかく楽しいです。

──東日本大震災当日の記憶について、もう少し聞かせてもらっていいですか?

大内:私は飯舘村の自宅から隣の南相馬市の高校に通っていました。ちょうど授業中でその時間もすごい覚えているんです。14時47分。それは何故かって言うと、数学の授業中で早く終わらないかなぁって思っていて。春から高校3年生になって放送部の全国大会を控えてて、自分の部活のために部長として何が出来るんだろう? どんな作品作りしよう? 何をしよう? って授業に集中もできなくって。

早く授業終って部活に行きたいとの思いでずっと時計見ていた時に、あれ? ってちょっとずつ揺れ始めて地震だってなったんです。みんなもあれ? あれ? ってなって……でも収まるだろうって思ってたらどんどんどんどん揺れが大きくなって、ものすごく揺れてそれで一回その大きな揺れが収まったんですよね。後から南相馬は震源地だったとわかるんですけど、その時は「すごい揺れたね」「今のなんだったんだろう」って、みんな机の下に潜ってたりしていて。そこで先生が焦ったのかどうかわからないんですけど、さぁ授業を始めるぞって立ちあがったんです。そして私だけ机の下から出てきて「はい!」って言って(笑)。座ったらまた大きい揺れがバン! ってきて、これは只事じゃないと思って。女の子たちは泣き叫んでるし、友達のことなだめるのに私も精一杯で、二回目の大きい揺れが止まった時、窓ガラスは割れてるわ、結構古い高校だったので天井は落ちてきてるわで大惨事になってて。これは一回外に出よう、と先生が指示を出してくれてみんなで外に避難したんです。でも、校庭も地割れ状態。何が起きてるかわからない。みんな携帯は持ってきているけど電波はつながらない。おまけに雪まで降ってきてすごく寒い状況で外でずっと待たされてた時、遠くで何かが爆発する音がして、しかも先生たちがすごい焦った声で津波が近くまで来てるって言って。私たちの高校から十キロくらいのところで津波がちょうど積止まって大丈夫だったんですけど、なんかこれは只事じゃない、と……。

一時間後にやっと家族に電話がつながって、お母さんに迎えに来てもらえないか? って言ったんですけど、家もぐちゃぐちゃだし家具も倒れてきておばあちゃんも死にかけたし……「今は迎えに行ける状況じゃない」って言われて。どうしようって時にちょうど飯舘村に帰る友達のお父さんがいて、飯舘村に帰る人はみんな一緒に帰ろうってなって、ようやく夕方の6時頃に飯舘村に帰ってきたんですけど、山道なので半分崩落してたりとかしてて帰るのも必死でした。

途中寄ったコンビニもその時には品物がないぐらいガラガラ状態で、地震が起きて三時間もたってないのにガラガラなんですよ。それぐらいの状態でようやく帰ってきたら飯舘村が真っ暗になってて。街灯もぽつんぽつんとしか立ってないですけど、民家もちらほらありますし当然電気ついてると思ったら何一つ電気がついてなくって。

私、その日バイトの日だったんですね。だから家の目の前のセブンイレブンにとりあえずバイトに行こうって思ったんです。真っ暗なのにね。真っ暗なのに日常を過ごそうとしていたんですね。バイト先に行ったら酒瓶とか全部ぐちゃぐちゃに割れてるし、そしたら店長さんが「さいかちゃん、今日大丈夫だから。お母さんのそばにいてあげて。」って言ってくれて。それで家に戻ったんだけど、家の中もグチャグチャだし電気はつかないし「とりあえずおばあちゃんは家の中にいるから、さいかとお母さんは今日は車の中で過ごせ」って。家は土壁だったのでボロボロ崩れてるし余震がひどくってずっと揺れてる状態で、その日は車の中で一夜を過ごしたんですけど、ずっと雪が降ってるので寒いし。寒い車の中、一緒に布団包まって。

私の家の前がちょうど大きな一本道が通ってるところだったんですね。停電して真っ暗になってる中、車のテールランプだけが光り輝いて。ずっと渋滞を起こしてるっていうような異様な光景を見ながら、「あ、ウォークマン持ってるやんけ。ラジオ聞けるやんけ」と思って聞いたんです。そしたら、東京も福島も大混乱。宮城は火災が起きてる。原発は爆発してる。津波で何千人って流されてるっていう悲惨な状況しか聞こえなくて。なんだ? これは? って、すごいことが今起きてるんだってはっきり実感して、「この日のこと絶対忘れちゃいけない」って思ったんですよね。絶対これは異常事態だし。その時にはもうすでに役者になりたいと思ってたので、絶対忘れちゃいけないし、これは永遠に私は語り継いでいかなくちゃなんないって。謎の使命感を持ちながら、とりあえず凍えてる母と一緒に今こういう状況なんだって……でも大丈夫だよ大丈夫って言ってたんです。そして東京のラジオだから、忍たま乱太郎の勇気100%とかアンパンマンのマーチとか流れてるんですよ。そういうの聞きながら「お母さん、大丈夫、大丈夫だよ」って言いながら3.11を終えました。

──ずいぶんしっかりしていたんですね。

大内:よく言われます。だからって言う訳ではないと思いますが、他の若手三人は比較的若い役どころで、若手の中でも私ひとりだけポツンとちょっと年の離れた大人枠をやってるのは、元からの妙な落ち着きがあるせいなのかなと感じつつ。愛を叫べない役をやってます(笑)。

──今回の作品と役についてもう少し話していただけますか?

大内:作品については、やっぱり一番最初懸念してたのが福島のお話ということで小難しい話であったりとか、観た人がこれは原発非難だとかなんか原発に関してうんたらかんたら、左翼・右翼とか、どうしてもそっちの政治的な話になるんじゃないかっていう懸念はあったんですよね。今まで自分自身福島の舞台に色々出てきましたけど、色んな感想を持つ人が居ていいとは思うんですけど、福島に対して変な誤解はして欲しくないなっていう思いがどうしてもあって。

ただ台本を見たときにその不安は一切なくなりました。いや、ホント天才だなと思って、こんなこんな面白く書いてくれたんだ。さすが! 谷賢一! ありがとう(笑)。青春群像劇だったり愛だの熱量だの情熱だのキラキラだのすごい詰まってるじゃないですか。これむしろ新しい福島が見られるんじゃないかと思って、福島の舞台の中でも新しい描き方をしているなーって思って本当に安心しました。だからこそ、今まで福島の舞台を敬遠して観るの控えているんだって人にも、ちょっと観てみない? 今回は……って。この舞台は別のアプローチからやってるよっていうのを言えるなと思っています。

──役柄としては他の若者たちとは独立しているということは、大人の役者と絡む機会が多いってことですか?

大内:私、自分の役いいな~って思うのが、どの役とも一度は絡んでるんですよね、大人とも絡むし子供とも絡む。ある一人の役を除いては。チーム若者との役での独立っぷりは半端ないですが、方言指導で本人達と関わっているので寂しさは感じていません(笑)。
谷さんが今日稽古で言ってたんですけど、大内がこの役を演ってるのが面白いって。実際は原発によって苦しめられて故郷を失った人間が、こんな役を貰えるなんて!って、舞台を観ていただければ分かるのですが私を知っている人からしてみれば凄いです(笑)。まさかのキャスティング。しかしそこが良い。こういうことがあるからこそ、芝居って面白いなぁ、役者の醍醐味だなあって思えるので、自分の役が本当に愛おしいです。

──演りやすい役って訳でもないんですよね?

大内:そうですね(笑)。やり甲斐のある役です! やり易さはあまりないです。面白みはすごい詰まってます。特に今日稽古していた7景。舞台のネタバレにならないようにしますが、自分の仕事について、ものすごく誇りをもっている人だと思うんですよね、この人は。知識量もすごい、そもそも1961年当初の時代背景から考えてみても、女性でこの若さでこのキャリア、只者じゃない。とは言いつつも、私個人は被災者ですし、結末を知ってるからこそこの役を演じるにあたって難しいな、ここどうしようかな、と思うところもあります。ただ、私は政治的観念からとかそういうのは全く関係無しに、今の日本には原発必要じゃんって思ってしまいます。原発事故がおきて故郷を失った女であろうと、原発による電力エネルギーで生活している人たちがいて、それでお金を貰ってる人たちが今現状いるのであれば、それをすべて否定することはできないって、そこは割り切っているので。当時の人たちの想いを背負って、この芝居に向き合いたい。つまり私が頂いた役はやり甲斐だらけで、その壁を乗り越えながら本番を迎えるのは、役者の醍醐味だなと思います。

──では、最後に観客の皆さんへのメッセージをお願いします。

大内:芝居の無限大の可能性を感じる作品になってるので、この歴史的瞬間を、福島県民としても被災者としても、そして役者としても見逃してほしくないと思ってます。福島の現在、当時を描く作品・舞台が多い中、今回の福島三部作第一部は非常に面白いことに、福島の過去を描いた作品です。フィクションとノンフィクションの狭間にあるような作品。どうか、どうか観に来て下さい。そして、新しい「福島」を観ていただければ幸いです。