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東谷英人インタビュー

──早速ですが、自己紹介をお願いします。

東谷:ダルカラの東谷英人(あずまやえいと)です。出身は宮城県仙台市。ただ、生まれたのは福島県の飯坂温泉というところの病院だそうです。母方のじいちゃん家がそっちにありまして、中学生くらいまでは結構頻繁に福島に帰ってました。

──谷さんも飯坂温泉を訪れてましたね。

東谷:行ってたみたいですね。だいぶ宮城の県境に近いので、福島市とかいわきの人は行かないような本当に宮城県よりの場所なんですよ。温泉街なんで水道代がタダ、みたいな町です。

──ダルカラが再開することについてどのような思いがありますか。

東谷:他の人はわからないですけど僕はそんなに休止したくないというか、解散じゃない、ちょっと間があくんで休止って宣言しちゃおうってことだったので気持ち的には休止という感じではなくて。その間、他の現場で芝居をやっていて同業者の方やお客さんに、「いつ再開するんですか」と1日1回聞かれるくらいの感じだったんですよ。

活動休止公演の『演劇』を結構たくさんの方が観てくれたっていうのもあると思うんですけど、有難いなぁと思ってました。休止自体はもっと長いのかなと思ってたんですけど、わりときっちり2年間で再開なので、あっという間という印象ですね。ずっと芝居に出てたからかもしれないですけど。この機会にあちこち行ってやろうと思っていて、もう再開かっていう感じです(笑)。

──他の劇団員とは休止期間に会ったりしてたんですか?

東谷:いやぁ、それが、ダルカラはドライな関係というか、芝居の現場じゃないのに飲みに行ったりしないんですよね。僕以外のみんなはしてるんですかね、とりあえず僕は誘われないし行ったこともないし(笑)。

客演先で、百花、塚越、大原とはたまたま一緒の現場になるってことは何回かありましたけど、それ以外で会うのは全くなくて。それで、去年ダルカラが合同会社になったんですけど、その時に全体で集まってミーティングをしたのが久々の再会でしたね。正直今も慣れてないというか、2年会ってないと人見知りが(笑)また再開しちゃうというか、なじめてないですね。稽古もまだ序盤なんで。

──今回の作品は東日本大震災が背景にありますが、2011年3月11日の記憶はありますか?

東谷:覚えてます。

あの時は高円寺に住んでいてお好み焼き屋でアルバイトをしてたんです。それで、勤務時間が朝の10時から15時だったんですけど、たまたまその日お客さんが全然いないので14時ちょっと過ぎにあがっていいよと言われて。帰ろうとして、お好み焼き屋の下駄箱から靴を取ろうとした時に、ガタガタガタって地震がきて下駄箱が倒れてきた、というのを覚えてますね。

あの日帰宅難民が結構出たじゃないですか。新宿で動けなくなったっていう知り合いがいっぱいて、高円寺まで歩いて来れるので「うち泊まりなよ」と声をかけたのであの日の夜はすごい来客数でした。10人以上いましたね、狭い部屋に。何もすることないし酒飲むかってなって、よくわからない夜でした。

僕自身は大丈夫だったんですけど、実家は大変だということでしばらく電話もつながらなくて。うちは仙台市の宮城野区なんですけど、8kmくらい自転車で走ったらもう海なんですよ。海側って感じではないんですけどそんなに遠くもなくて、僕が高校時代に野球をやってたグラウンドが海のそばにあって、そういうよく行ってた場所が津波で壊滅してまして。地震のあと、5月か6月に仙台に帰って様子を見て回ったんですけど、僕が練習してた野球グラウンドはもう、グラウンドではなかったですね。変な隆起があったり、田んぼに囲まれているような場所に船が真上から突き刺さっていたり、家が半分なかったり、新聞とかテレビで見るだけではわからないエグさがあって。当然信号もないので人が誘導してるんですよね。そういうところを車で回ってました。これは目に焼き付けておかねば、って思いまして。

その時はダルカラ入団直前だったんですけど、どうしようかなぁと思ったりして。宮城県出身の知り合いの女優さんの中には、一旦芝居を辞めて実家を手伝うという人もいました。

とにかく実家のことが気になりましたね。福島もおじさん家とかあったんですけど、実家にはおばあちゃんもいるので大丈夫かなとすごく心配でした。あの時から実家によく連絡とるようになりました。ツイッターもあの時くらいからすごく使いだしたような記憶がありますね。本当かどうかわからないような情報もいっぱいあった、いまだにあると思うんですけど、とにかく知りたいって思って見てましたね。

──東谷さんは今回どのような役をやるんですか?

東谷:これ以上ないってくらいのキーマンですね。

こんなにおいしい役をやったことないんじゃないかなっていうような(笑)。第一部においてということですけどね、第二部とかはまだ分からないので。これは谷とも話したんですけど、今まで出たお芝居でメインの役どころではないようなポジションにいて物語をかき回すとか何か火をつけるとかそういう役回りって結構やってる方だと思うんです。

でもそんなの目じゃないってくらい今回はキーマンだしおいしい役だから、とてもプレッシャーが高いんですよ。とてもでかいものを背負っているというか。これから稽古をしてどういう感じに着地するかわからないですけど、初めて台本を読んだ時に「こんな役やったことないな」と大げさじゃなく思いました。「こういう役を任せるんだな、俺に」と感じまして。自分が請け負ったことがないような役割を持っている人物というか。

多分、僕だけじゃなくて過去から繋がりのあるメンバーに対しては、ちゃんと新しい挑戦をさせていて、そこを乗り越えて初めて前に進んでいけるような、挑戦状をもらっているような感じですね。だからダルカラっていいなって思います。安全パイとか楽してできるようなことは一切ない。今までもずっとそうだったんですけど、やっぱりそういう意味でのプレッシャーはありますね。やりがいというか。

二年前のインタビューで何を話したかというのは具体的には思い出せないんですけど。二年経ってですね、僕はより芝居の難しさだったり深さだったりを感じていて。でもやっぱり、劇団員それぞれが二年間の経験値としては積んできているとは思うんですけど、そんなことで易々クリヤーできるような簡単なものはダルカラでは通用しない。もっと高いハードルなんだなと思ってます。

──今回、テーマが原発ということでちょっとハードルが高いのかなと思ったりもするのですが。

東谷:そうですね、高いですね。

色んな角度からのご意見を観客の皆様もお持ちでしょうからね。原発や震災のことだったりとか、あれ以降、劇作家の方が震災を扱った、あるいは震災から着想を得た戯曲を書くことも増えて、そういった作品に出演したこともありますが。今回ほど福島とか原発とかを真っ正面から扱ったものには出会わなかったですね。それまでやってきたそういう芝居が優しかったわけではないのですが、今回のは「芯をくわないと負ける」という感じが強いです。

──舞台は1961年だとお聞きしているのですが。

東谷:僕はまだ生まれていないんですね。両親もおそらくまだ出会ってすらいませんね(笑)。実際に体験していない世界を体験する。それこそ、やっぱり演劇の醍醐味のひとつですね。

──3.11を知ってしまっていて、その上で舞台上で悲惨さを知らない時間を過ごすわけですけど。

東谷:去年、ティーファクトリーというところのお芝居では、実際に防護服を着た作業員がそれを脱ぐ前に消毒しあうシーンがあったりして。ぼく自身はアンドロイドの役で、人間とロボットが共存している世界の、あくまで架空の未来の話というフィクションでした。今回は、フィクションなんですけど、限りなくノンフィクションに近いというか、なのでそれをやるギリギリのスリルはありますね。怖いことだなって思うし。

──それが観てる人にとって真実になっちゃう怖さというか。

東谷:ただ、実在の人物が殆どモデルになっているらしいので、安易にフィクションだって考えられない所もありますし。

──最後にみなさんへのメッセージをどうぞ。

東谷:まずは今回、初めて出てくれている若者のキラキラさ(笑)。素敵だなって本当に思うんですよ。そういう風に思うってことは、僕も歳を重ねたってことだと思うんですけど。そんな風に無邪気にキラキラできないんだなって思うと同時に、目の前で若い俳優が躍動しているのを観ているとすごく気持ち良いんですよね。だから上演をご覧になる方々は、それをその場で体験することになると思うんです。

あとは、立場的に僕が若手ではない(笑)もう30も超えてますし。もっと上の40代のメンバーもいて、そういう青春真っ盛りみたいなことはもうできないだろうけど、それを経て生き続けてるから今こうなってるんだよって、身体というかそういう姿を舞台上でさらけ出すことになると思うんですけど、かといって若い人たちとベテランたちがバチバチ戦うお話ではないんですが、そういう違いのある役者たちが舞台空間で混ざり合って、どういう熱が生まれるのか。

原子力の発生じゃないですけど、そういう熱量みたいなものが舞台の一番の魅力じゃないかなと思っていて、それを見せられるお芝居にしたいですね。ちっちゃい子でも年取った人でも、その人なりの情熱みたいなものをぶつけながら生きていく。そんな人間具合みたいなものをお見せできる舞台にしたいなぁと思います。