井上裕朗インタビュー

──自己紹介からお願いします。

井上:井上裕朗(いのうえひろお)です。

稽古初日の朝、稽古場に行く途中で初めて気付いたんですけど、谷くんと一緒にやるのは今回で6回目なんです。ダルカラでこれまでに3回、Theatre des Annalesで『ウィトゲンシュタイン』『トーキョー・スラム・エンジェルス』というのをやっていて、今回で6回目になるんですけど、同じ作家、同じ演出家と6回やるってのが初めてで。「あー……長い付き合いになったなぁ」ってしみじみ感じながら、今回の稽古に入りました(笑)。

──同じ人と6回っていうのは珍しいことなんですか?

井上:どうなんでしょうね。僕の中で「奇数回の壁」というのがあって。1回で終わっちゃってる方々みたいなのは勿論いる。1回だけじゃなくてまた一緒にやりましょうってなると、なぜか3回まではポンポンポンっと続いたりするんだけど、そこで止まっちゃう人もいる。もしかしたら3回やると飽きられるのかな(笑)。あと、5回っていうのは他にも何人かいらっしゃる。劇団に所属していたりすれば、もちろんもっと同じ人と一緒にやってると思うんですけど、僕は基本的にフリーでやっているので、呼んでもらわないと一緒にできない。そんな中で、一番多くなったのが谷くんってことですね。

──そんな記念すべき公演となりますが(笑)ダルカラ2年ぶりの再開でまた参加することになって、どんなお気持ちですか?

井上:そうですね。単純にとても嬉しいです。

どこの劇団もそうだと思うんですけど、今「劇団って何なんだろう?」っていうのを考えてる人たちがいっぱいいて。上手くいってる劇団は沢山あるけれど、劇団としてずーっと長くやっていくことはすごく大変だから、活動休止したり解散したりみたいなところもたくさんあって。谷くんは2年前の『演劇』をやる時、活動休止と言ってはいたけれど「今回のこの作品で自分にとって劇団っていうものが必要だと信じられなければ、解散にする!」っていうことも明言していたんです。

本気でそう思ってたんだと思うんです。そして、いろいろ大変ではありましたけど『演劇』という作品がいろんな面で上手くいったと言うか……いい公演になって、東京でやった後に新潟に行って、新潟の千穐楽の大打ち上げの時、煙草吸ってる谷くんに酔っ払った勢いで「またやるんでしょ?」って言ったら「うん、やる」って。もうその時から劇団を再開するってことは決めてたみたいで。僕自身も参加していたあの『演劇』という公演で「DULL-COLORED POPという劇団でしかできないことがある」ってみんなが思えたという結果なのだろうから、とても嬉しく思いますね。

あと一番最初に参加した『Caesiumberry Jam』は一回活動休止して活動再開した公演だったし、第二期の終わりの『演劇』、そして第三期の一発目のこの公演と、ダルカラにとってのターニングポイントになる公演に参加できてるのはすごく嬉しいです。

──今回若手4人がオーディションで入ってきましたが、どんな印象ですか?

井上:彼らの印象より前の話として。元々この福島三部作をやるっていうのは発表されていたし谷くんから聞いていて知ってたんですけど、それをどういう形でやるかっていうことは知らなくて。まず何より「この作品群を劇団でやるんだ」ってことがすごくびっくりもしたし……嬉しかったし……すごくいい決断をするなと思いました。そのうえ、メインキャストはみんな客演の若者だと聞いてさらにびっくり。しかも失礼ながら4人の若者は僕は知らなくて「どうやって出会った子たちなの?」と聞いたらオーディション。主役は完全にその中の1人だし、またすごい決断をするなぁと。

谷くんにとっても劇団にとっても大きなチャレンジとなるこのテーマ、そして記念すべき再開公演で、劇団員たちでなく若者たちを中心においたということに、本当にびっくりしました。谷くんらしいですけれど。

本稽古が始まる前に、一日だけ3~4時間、特に若い子たちの為のワークショップというかプレ稽古みたいなものをして、その時は正直「え、この子たち大丈夫なのかな?」って思ったりもしたんですけど(笑)。でも、本稽古入ってやってたらそんなことももう忘れました。

もちろん、若くて経験が浅いにも関わらず重大な役を振られ、谷くんから容赦ない高いハードルを突きつけられて、そりゃもう毎日大変だと思うんですけど、でももし僕が彼らだったら、と、逆の立場で考えてみたら、もうとにかく、羨ましいですよね。チャンスに恵まれて、環境に恵まれて羨ましい。いきなりあんな大きな役をやれて、先輩たちに囲まれて。羨ましいです。

そして僕は、とにかく若い俳優さんが好きで……若い人たちは、変な癖やこりかたまった自分の演技論とか演技法とかない分、素直だし自由だし真っ直ぐで、見てると、もちろん決して上手じゃないけど「すごくいいな!」と思う瞬間がたくさんある。僕自身、影響をものすごく受けてます。頼もしいですね。

──今回の作品は東日本大震災が背景にありますが、2011年3月11日の記憶はありますか?

井上:僕はその当時、箱庭円舞曲という劇団に所属していました。

3月11日の夜に、新宿の劇場で、劇団員のひとりが出演する公演が幕を開けることになっていたんです。その初日を劇団員のみんなで観に行こう、どうせなら早くから集まってミーティングをしようということで、昼間から新宿にあるファミリーレストランで集まっていたんです。僕も入れて3人だったかな。会議というか作業をしていた最中に、あの大きな地震を経験しました。ちょうど時間的に、その公演のゲネプロをやっているだろう時間帯だったからとても心配になって、みんなでその劇場まで行きました。劇場はサンモールだったんですけど、サンモールはゲネの直前、サンモールスタジオは本番中だったらしく、劇場の近くの公園に、俳優・スタッフさん・そしてお客さんが全員避難して集まっていて。そしてしばらくしてみんなで劇場に戻り、いろんな話をしました。なので僕の中では、あの地震と演劇関係者、そして劇場とかっていうことが繋がっていて。今でもよく、あのファミリーレストランと、劇場の横の公園のことを思い出します。

──お家には普通に帰れたんですか?

井上:家がちょっと遠いところにあるので、最終的にその日は帰りませんでした。夜、友達とタイ料理を食べていて、そのレストランでみたテレビのニュースで、思った以上に大変な事態であることを知りました。仙台空港の映像だったのをよく覚えています。

──周りの人で東北出身の方はいらっしゃいましたか?

井上:僕自身は出身が東京だし、家族の出身は関西方面で親戚もそっちに固まっているし、北の方にあまり縁はないのですが、箱庭円舞曲の主宰の古川貴義くんが福島出身だったので、彼を通じて、間接的にいろいろと感じることがありました。

──今回の作品やご自身が演じる役について今の思いを聞かせてください。

井上:すごく正直に言うと、今回のような、自分たちにとって近しいのだけれど、でも自分が最たる当事者ではないという題材を、演劇という形で作品を作って発表するということが、どういうことなのか。僕の中で、あんまり答えが出せていないんです。

以前、子供を虐待する父親の役をやったことがあるんですね。僕自身は親から虐待されて育ったわけでもない。親ではないから実際自分自身が虐待した経験もない。でも、与えられたその役を、自分なりに一生懸命に演じたつもりでした。その作品を観たとあるお客さんの中に、実際に親から虐待された経験のある方がいらっしゃったんです。その方は、大人になるにつれてようやく、その昔の辛い経験から立ち直りつつあった。でもこの芝居を観たことですごくいろんなことを思い出させられた。描かれ方にも腹が立った。腑が煮えくり返る思いがした。そういって、涙を浮かべて怒りをぶつけられたことがあったんです。

僕自身も、もちろん作家も演出家もその他の共演者たちも、もちろん誠実にその題材と向かい合って作ったつもりではありました。でもそのとき初めて、当事者の方々を傷つけてしまう危険性について、本当の意味で考えさせられました。誰かを傷つけてしまうかもしれない、誰かを怒らせてしまうかもしれない。そのことに思いを馳せ、でもそのことを必要以上に怖がらず、そしてそのことを引き受ける覚悟をもって作品を作らなければいけない。今回もそのことを強く考えています。

どんなに頑張っても、本当の意味での当事者にはなれない。もちろん一生懸命想像をして、役が抱えている感情や思考を掴み取ろうとがんばります。でもどこまで頑張っても、わかった気になるってことだけは絶対したくないなと思います。だって、絶対にわかるわけないですから。わかろうとしなきゃいけないんだけど、でも絶対にわからない。わかった気にならない。それが僕にとって大切にしていることですね。

──観ている人の傷を抉ってしまうことが今回の作品に限らずあると思いますが、それは演じていて怖かったりしますか?

井上:うーん。難しいですね。でも今回は、谷くんのことを信頼して、預けています。そして稽古の中で、僕の感じたことをすべて彼にぶつけて、僕自身もきちんと引き受ける覚悟をもてるように、いろいろと議論を重ねて作っています。

でもいわきで初日を迎えたときに、いま僕たちはこういう風に考えているけれど、それでもやっぱりすごく傷ついたとか、怒りを感じたっていう人も出てくるだろうなと思います。それはもちろん覚悟しなければと思っています。何よりそのことに対して覚悟を持っているのは、僕なんかよりも、自分で書いて演出している谷くんだと思いますが。

福島で開幕させるっていうことが、彼にとってはすごく大事なことなんだろうなと思ってます。

──井上さんが演じる役についても差し支えない範囲で聞かせてください。

井上:ある日別件で谷くんと飲んでたときに、そのときはもう出演が決まっていて、自分がどんな役をやるのかちょっと聞いてみたんです。題材的に、ものすごく説明をするような科学者とか、演説をぶちかます政治家とか、そんな役なのかなあと予想をしていて。そしたら「うーん、これがねぇ、多分だけど、ほぼ間違いなく今までやったことないタイプの役だと思うよ」と言われまして。そのあと気にしないようにしようと思っていたんだけど、やっぱり気になっていろいろと予想をしていました。第一候補は「動物」だったんです。(笑)

──(笑)

井上:ダルカラは、毎公演必ず動物が出てくる、自称「動物劇団」ですから。例えば福島に生を受けたある動物が、1961年の福島をみて、第二部の時代でも同じ土地をみて、第三部でも同じ土地をみて……なんていう役柄とかを予想してみたり。ちなみに第二候補はおばちゃんとか(笑) でもまさかまさかの○○(井上さんの役)でした。

稽古が始まる前に、何人かで福島に田植えに行ったんです。すごく楽しくて、東京に帰ったあとまた飲みに行きました。そうしたら「井上くん、今日家来ない? 稽古が始まる前にちょっと台本読んでみてほしいんだけど」と言うので、彼の家に行って、さらにお酒を飲みながら誰より先に、今回の作品の台本を、まだ途中までだったんですけど、読んだんですね。まずは、とりあえず自分の役がどれかとかを考えず、客観的に読もうと思って読みました。

でも最初のページに、登場人物の紹介が書いてあり。その中にひとり、驚きの登場人物がいて。結局はそれが、今回僕がやる役だったんですが(笑)

自分の役がどれかは気にしないように読もうと思ってはいたものの、読んでるうちに、あ、これは誰々の役だなあと、一発でわかる役が結構あって。たとえば、古屋くん(古屋隆太さん)の役なんかは、読んだ瞬間に、というより、あらすじを読んだ瞬間にわかっていたし。若者の4人もこの4人だなというのはわかったし。東谷(東谷英人さん)の役も一発でわかり、ケンケン(大原研二さん)の役もすぐわかって。なんていうふうに消去法で消していったら、結局自分の役はふたつぐらいに絞られて。おそるおそる「まさか◯◯の役?」って聞いたら「そうだよ」って。(笑) あまりにも初めてやるタイプの役で、やらなきゃいけないことが多すぎて、それを今はひとつひとつクリアしていこうと頑張ってるところです。

──方言も初めてだと思いますが、いかがですか?

井上:これが、楽しいんですよね。方言をしゃべることによって、自分と役との間に、適度な距離ができるというか。昔からずっと方言の芝居、やってみたかったんです。方言というフィルターがかかることによって、違う自分に出会えるんじゃないか、違う自分が出せるんじゃないか、という期待があって。稽古をしてみて、実際そういうところがあるなあと思っています。

たとえば今回の役柄は本当に初めてやるタイプの役なので、標準語でやれと言われていたら、もしかしたら恥ずかしくてなかなかできなかったんじゃないかと思う。方言というフィルターが一個入ったおかげで、ちょっと助かっています。楽しいです。自分にとっては、意外なほど、大きなハードルではなかったですね。むしろ助けになっています。

──では最後に観客の方へのメッセージをお願いします。

井上:たしか平田オリザさんだったと思うんですけど、違ってたらごめんなさい、本の中で、自分の仕事は、自分が世の中をどのように見ているか、自分から見えている世界を提示する仕事だ、みたいなことを書いていたんです。

今回の作品は、まさにそうだなと思います。東日本大震災と原発事故、その起こってしまった「現実」を、どんな風に捉えていくのか。いろんなジャンルの人たちが、それぞれの見地から、たとえば学者の方や報道に関わっている方々も、それぞれの切り口で分析や考察をしていくんだと思うんですけれど、今回は「演劇」という形を通じて、谷くんがどのような角度からこの現実を見ているか、考えていこうとしているか、その切り口の提示をするものになるのだろうと思っています。僕は俳優として、その乗り物に同乗していくわけですけれども。僕たち俳優と、客席にいるお客さんたちが、劇場という同じ空間で同じ時間を過ごす中で、僕たちもお客さんたちもそれぞれが、自分たちの切り口や見ている角度のようなものがほんの少し変わったりするということが、この作品を通じて起こるといいなあと思っています。僕は、普段あまりお客さんの感想に興味がないというか、それは観た方の自由だと思って気にしないのですが、今回はとてもそれを気になるだろうと思うし、とても興味深いというか、それが楽しみです。ぜひいろんな感想を聞かせてください。