塚越健一インタビュー

──自己紹介からお願いします。

塚越:ダルカラ最年長ですね、塚越健一(つかごしけんいち)です。プロフィール上では千葉県出身ですが、本籍地は東京で、生まれたのは京都です(笑)。

──いよいよダルカラの2年ぶりの再開公演ですが、どんなお気持ちですか?

塚越:これはいつものことですけど、他の客演させていただく現場と比べて一番緊張しますね。ホームだからやりやすいとか、創作する上で共通言語があるから理解が早いだろうとか言われるんですけど、僕は谷賢一の作品に携わるときが役者としての真価が問わてれいる気がして、一番緊張しますね。

──久々に谷さんの演出を受けてみて、どう感じましたか?

塚越:谷賢一は、昔に比べると丸くなった感じはしますかね。今回は客演さんや新人さんが多いというのもあるんでしょうけど、もともと演出するときに言葉を尽くすタイプだし、イメージをどうやって伝えようかという部分に心を砕く人ではあるんです。でも、その言葉の表現が柔らかくなったなあっていうのと、根気強くなったなっていうのは感じますね。それは、これまでの間で色々なタイプの役者さんたちと接してきて、更に磨かれたスキルなんだろうなぁと思います。

他の劇団員はどうかなぁ~。もちろん其々に色んな現場を踏んできた結果なんだろうけど、ダルカラの中での其々の役割みたいなもの、得意技みたいなものを磨いてきてる感じはありますね。

たとえばモモちゃん(百花)の瞬発力には相変わらず驚かされますし、ケンケン(大原)の演出家的な目というか演出家の意図を汲み取るのが一番早いところや、教え上手というか教え好きというか若い子たちに対する的確な指導は相変わらずですし。エイティ(東谷)も元々そうだったんですけど、明確に挑戦していくというか、自分の中でハードルを設けた上でより破天荒になってキッチリ挑戦していくなぁとは感じてますね。

──今回若者4人が入っていますが、彼ら達との関係は?

塚越:えっと、僕こう見えてすごく人見知りなんですね(笑)。そんなに殻を閉じているわけではないんですが、かといってそんなに取っ付き易くもないだろうし。あとは、年齢的には彼らのお父さん世代なんですね。年齢差があって話しかけ難いんでしょうね。彼らの方からも近づいて来ないですね。

──誰のメンターなんですか?

塚越:私は、大内さん担当ですね。大内さんが女性だからってこともあるかもしれませんが、何とも言えない距離感が(笑)。まぁ、まだ稽古始まって十日目くらいだというのもあるんでしょうけど。で、今回はダイエット指令が出ていて、懇親会にも参加してないんですよね。食べることが大好きなので、食べられない飲めないじゃ参加しても辛いだけかなぁと思っちゃって。でも、今考えると参加しておけばもう少し距離が近くなったかなぁと、反省してるんですけどね。これからボチボチ距離を詰めていきます(笑)。

──今回の作品は原発とか東日本大震災がテーマになっているので、2011年3月11日当時の記憶を聞かせていただけますか?

塚越:はい。僕、明確に覚えてるんです。3.11の日って。ダルカラが一度目の活動再開をする前で、もともと自分のプロデュース公演はやっていたんですが、新たに『オトナの事情≒コドモの二乗』という団体を立ち上げて自分の演出でお芝居をやった年なんですね。それで、その公演の仮チラシを梨那(中村梨那)が客演で出ていたお芝居に折り込ませてもらおうと思って、八幡山のワーサルシアターまで持っていった帰りだったんです。八幡山の駅のホームでちょうど地震に遭って、電車が止まってしまったので、八幡山から九段下まで歩いたんです(司会:えーー!)。それで九段下まで来たところで電車が動き出して乗って帰れたんですけど。当時、カクヤス(ディスカウントの酒屋チェーン)でアルバイトをしていて、次の日に出勤したら全部の棚の酒瓶が割れててグシャグシャで、片づけがすごく大変だったのを覚えているんですね。実際、大混乱で何が起こったのかも分からないし、福島のこともまだ分かっていなかったので、3.11当日の記憶はそんな感じですね。

──そのお芝居は上演されたんですか?

塚越:はい、上演しました。お芝居自体は5月か6月の公演で、そこは覚えていないんですよね(笑)。まぁ、早めに仮チラシだけでもと思って、折り込みに行ったんですね。あの頃は、電気を使うので公演自体を休止したりする団体もあったんですけど、うちの公演は無事になんとか。

──今回の作品や役について聞かせていただけますか?

塚越:まぁ、この歳になってきて、あっそうだよねっていう(笑)それなりに高い年齢のお役で。今回も自分の実年齢より高い年齢のお役をやらせていただくんですけど、毎回痛感するのが気迫というか迫力というか、年上の人たちって凄いなって思うのが、もの凄い説得力が身体に宿ってると思うんですね。それが今の自分に足りないと感じていて、それをどうやって自分に足していくのかっていうのが、実年齢より高い年齢のお役をいただいた時の毎回の課題ですね。

自分が持っていて無くしたものっていうのは、当時の元気はなくなったり身体が動かなくなったりしても、感覚の名残りであったり、記憶を辿ることでなんとか再現できたりするんですけど。まだ、自分の中に身についていないものをどう補って表現して行くのかっていうことが、やっぱり今回も課題になっているなぁっていうのを感じてますね。

──この前、客演された舞台を拝見して、塚さんは身体に説得力があるなぁと思いましたけど。

塚越:ありがとうございます(笑)。ただ今回特殊なのは、実在の生存されてる人物や、亡くなっていたとしてもまだ日が浅い人物をモデルにしたお役をやらせていただくことって、ほぼないんですね。異国でも遠い過去でもなくて、お役のモデルとなった方との距離感がとても近いんです。こんなことは初めてなのかな? そのことってやっぱり意識をしますし、そんな人たちがこの事件のような特殊な環境とか特殊な状況とかに巻き込まれて、更にその後を生きた人たちを演じるというのは、想像や記録や遠い記憶の中にしかいない人物をやらせていただく時とはやはり違っていて。リアリティというか、フィクションであってフィクションでないような距離感、想像だけではなんとか出来ない何かっていうのを僕の中で感じています。自分がそのお役に向かっていくときに、フィクションや寓話や伝説のお話をやるときとは違う、大きな負荷がかかるように思います。

もちろん、完全なフィクションだったり歴史上の昔の人物だったりのお役をやらせていただく時にも、想像という意味で自分の中に蓄える負荷がかかるんですけどね。今回の場合はそれとは違った大きな負荷がかかっています。今は、立ち向かったことのない近い距離感を持った人物を自分の中にどう具現化するか、自分なりの答えを探して稽古している最中でございます。

──こういった作品を上演して、お客様にどんな風に受け止められるかという怖さのようなものはありますか?

塚越:全ての作品がそうだと思うんですが、もちろん我々は伝えたいことがあって「こういうものを表現したい」って思って表現するんですけど、それが全部自分たちが思った通りに伝わってしまったら、たぶんその作品ってつまらないんじゃないかと僕は思うんです。あくまで、考えるきっかけであるべきで、お客様が考える余地や想像する余地を残してる作品こそが、面白い豊かな作品なのではないかと思うんですね。もちろん、演じる自分がどう考えてどう思ってどう伝えたいか、というメッセージを持って作ったとしても、最後は受け取り手に委ねられるものであって。

一斉に右向け右で同じような評価がされるような作品ではなく、賛否両論あって色んな人たちが色んなことを考えて下さることこそが、素敵なことなんじゃないかなぁ。それはどんな作品においても変わらないですし、どんな受け止められ方をしても、我々もそれを受け止めていかなければならないと思っています。

──最後に観客の方へのメッセージをお願いします。

塚越:『Caesiumberry Jam』の時にも言ったのですが、原発が云々といった思想的なものであったりとか、左翼的な演劇を創りたいと我々は思っているわけではないんですね。この大きな事件を通して、そこに関わった人たちにどんな影響を与え、どんな状況を招いたのか、あくまで人間ドラマとしてこの作品を創っています。

ですから今回の作品も原発のことだからとかフクイチのことだからととらえないで、もっと大きな群像劇として人間ドラマとして観ていただけたらいいなと思っています。そこで皆様が何を感じていただけるのか、この作品をきっかけにして皆様が何かを考えるフックになればいいなぁと思っております。

今までのダルカラにない社会問題を扱ったお芝居と言われそうですけれども、正面切ってそう銘打っていないだけで、今までも社会問題というかその問題の中で生きている人たちの人間ドラマを描いてきているんですね。ですから難しく考えないで、是非観に来ていただきたいと思います。そして、これをきっかけに何かを考えていただければなと思っております。